お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」といえば、当初、わたしはそんなものないと思った。物事は状況と動機だろう。その瞬間に条件が整わないからやらなかっただけで、今から当時を眺めたからって何かしたいことがあるわけじゃないと思った。
家族がいて、仕事もあって、そこそこの収入、持ち家、楽しめる趣味も仕事以外のボランティアもやって人生は充実している。このお題で書くなら相当に皮肉混じりな書き方をしないとダメだろうと思った。
違った。よくよく考えていくと出てきた欲求。それは「小説を書くこと」だ。たとえば以下のような小説だ。
少し先の未来。少年ユイトは将来選択に軍人を選んだ。しかし父の反対で入隊はできなくなった。家族のため、世の中のため最高の選択だと思っていたのに。冷たく拒否されたことにユイトはショックを受けたが収入は欲しい。気乗りはしないが行くところは一つしかない。
求職所。公営の職業案内所。公共市民が受けられる唯一の選択。職員は非対面の、アバター越しにしかサービスしてくれない。最近の公営サービスはどこもそうだ。対面は具合が悪いらしい。
ユイトは案内人アズールからサービスを受けることになった。とても運がいいらしい。希望の就職先に軍隊と言ったら変な顔をされた。運がいいとは言えない。しかし親身になって相談を聞いてくれるし、希望は最大限にかなうような仕事先を案内にしてくれる。運がいいのかもしれない。ありがたい。幾度かの企業案内と選考を経たのち、仕事が決まった。よいことだ。
最後にユイトは直接お礼が言いたくなった。しかし公営サービス法違反なのだという。親に反対されてばかりだったユイトにとって、アズールはもっとも信頼できる相談相手になっていた。就職が決まってしまえばアズールとは会えなくなる。ユイトはどうしても面と向かってお礼が言いたかった。ユイトは頑固だった。アズールは折れた。
指定の日、指定の場所。やってきたのは父親だった。「おめでとう」と。仰天するユイト。父はユイトがやりたい仕事についてほしかったが、戦争に行く可能性があるのは我慢できなかった。そのまま入隊反対が口をついて出てしまったが、ユイトを否定するようでつらかった。求職所ではたまたまやってきたユイトに驚いたが、ユイトの将来がよくなるよう全力で取り組んだ。こうしてユイトの仕事が決まり、ユイトが喜んでうれしい。
ユイトが喜んだのもつかの間、父が保安隊に拘束される。公営サービス法違反のため処分されるという。一度はユイトが望んだことを反対し、今度はユイトの望みにこたえようとした父が処分された。信頼できる相手、実の父親、その両方をユイトは失った。
これは小説というよりメモみたいなものだし、その精度も怪しいし、面白いかどうかの自信はあまりない。まあ、でも面白くなるまで推敲し続けるとして、それでも小説を書きたいとはずっとならなかった。理由を述べる。
>刹那的エンタメの支配する環境とのかみ合わせの悪さ
第一に考えるのは、刹那的消費が席巻する最近のエンタメ界隈の姿だ。
異世界という困難に放り出されてもチート能力が付与されて無双していく。きれいな女性が登場してハーレムになる。イケメンが特に理由もなく好きになってくれる。
この手の瞬間的な、スタートから快楽爆速のエンタメが支配する環境下、さきほどのような最後に一つの回答と悔悟が待つような小説は、どうにもかみ合わない。
小説投稿サイトを利用しない理由もここにある。
あの瞬間瞬間に快楽を配置しなければ読者がつかない仕様は、私が書きたいストーリーでははみ出す。
もちろん、いわゆる"なろう系"だけで出版業界が成り立っているとは思わない。
しかし新規出発する小説家と考えたとき、わたしの書きたいものはあっていないように思えてならない。
>本が遠くなっていく世界
ニューロマンサー。サイバーパンクの原点と言われる小説。とても有名。とても面白い。
ところで私の本棚にあるのは1998年24刷。定価(本体800円+税)とある。
他方の早川書房オンラインストアでは書籍2255円(税込)、電子書籍版2255円(税込)となっている。(2026年2月現在)
もう無理だ。文庫だぞ。文庫で2000円オーバー。いくら海外翻訳ものだといっても、これでは無理だろう。誰が買うんだ?
こんな状況で小説を書き続けられるのか?
もしかしたら自費出版で一冊だけなら出せるかもしれないが、そんな冒険はできるならしたくないし、やったところで無名の私の小説が持続可能なものとして次々と送り出せる見込みは果てしなく薄い。
>小説でなくても可能な媒体としてのブログという着地点
過去の私において、「忙しい」「自信がない」「時間がない」などの状況等があり、それらは妥当だと思っている。
しかし社会がこれほどまで急速に窮屈になっていくとは想像もしていなかった。
失われた10年と言われたのが20年、30年となって、まだ先行きが見通せない。
氷河期世代が問題だと言われながら抜本的な改革はなされない。
少子高齢化? 冗談言うな。子育て世代にも高齢者世代にもちっともやさしくないじゃないか。家庭から両親とも社会に追い立て共働き、高齢者をシルバー人材などと都合のいい言葉で労働市場に居残りさせる。
現役世代は疲れ果て、社会に希望をもって送り出されるはずの若い世代に希望はない。
政治経済のリーダーは何をしているのだ。わたしたちはお前らの手持ちをあっためているのが唯一の役目か? お前たちの役目はどうしたというのだ。
もう疲れるじゃないか。家族もあって仕事もあって家も収入もあって趣味も楽しんでボランティアで社会に寄与して個人的には何の不満もない人生。
それとは別に疲弊していく社会を眺めているだけなのは納得がいかない。何かできるはずだろう。その手段として、マスに届けられるテキストとしての小説。これをもっと早くに出すべきではなかったかと思う。
その発露の末にたどり着いたのがブログだ。少し前、双方向メディアとしてのブログに期待して開設したといった。
双方向メディアとしてブログに回帰。ネガの吹き溜まりと化したSNSよ、さらば - cinochenus’s blog
あれは事実だがブログは目的ではない、手段だ。わたしの目的はせめて文字を使って疲れた社会を癒すこと、勇気を届けること、正当な怒りを示すことだ。
つらくて逃げ出したいあなたは間違っていない。ここはとても痛めつけられた世界だ。なかなかに住みにくい。わたしだってたまたまサバイブできているだけのこと。

なんで自分の余暇時間を使いつぶしてまでブログなんて書いてるのさ。そんなの人生に満足している人の過ごし方じゃないよ。はてブの運営者も大なり小なり似たようなものではないのか? なにがしかの引っかかりがあり、やむにやまれず書くのではないか。
わたしもその一人だ。小説はもっと早くにやっておけばよかったと思うが、それをいっても始まらない。わたしは小説という手段は手放したが、痛めつけられた世界を見放すという選択はできなかった。