きのけんぶろぐ

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新作映画「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」レビューにみる予習の要否(ネタバレあり)

7月31日公開の映画「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」はものすごい人気のようだ。これを反映してかレビューもまた多い。

その中身、映画の賛否もそれぞれながら、気になったのは"予備知識"の要・不要という視点。単体で楽しめるという記事から、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)を把握していないと核心を逃すという意見まで。

 

なんでこうなってしまうのか。一方は必要だといい、他方はいらないという。この二つが成立する条件は次の通り。

広くスパイダーマン知識をカバーする人が作中に知識がフックされるシーンをたくさん確認し、予備知識の必要性を主張した。

予備知識なしで鑑賞に臨んで十分に楽しんだ人たちが、その素直な感想として予備知識不要とレビューした。

この二つが同時に存在し、世にも不思議な予備知識が必要で不要な映画「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」が爆誕した。

 

 

とりあえず論理的帰結に基づいては以上で証明可能だとは思う。

その上で、映画制作陣が考えてそうなことを指摘、どうしてこんな作品になったのかを紐解く。

けっこうディープな解体になってしまう。ネタバレ込みだ。以降は完全に鑑賞済みの人向け。映画鑑賞の判断基準として読むのはオススメしない。

 

ネタバレするからね。

しかも作品の魅力紹介とは関係なく解剖的な使い方でネタバレするよ。

まじ未見の人にはオススメしない。

いいか、警告したからね!

 

まず大前提として、予備知識がないと楽しめない映画って何?ってところがある。

映画とは大衆娯楽であって伝統芸能ではない。最初から筋書きを分かった上で楽しむ歌舞伎、オペラ、ミュージカルではない。

たいていの作品は予備知識なしで鑑賞するように制作されている。そうじゃないと見込み客がどんどん狭くなってビジネスにならない。

ま、たまーにあるけどさ。どうしょもなく突き放してくる類の作品は。でもたいがいは、とくにアメリカ産の映画は、アメリカ産の超特大予算のついた映画は、予備知識なく楽しめるように制作されている。

 

たとえば2009年「イングロリアス・バスターズ」では史実と異なるラストを迎える。

これはナチスドイツのヒトラーがどういう終わり方をしているか分かっていないと監督のクエンティン・タランティーノの思惑も全く伝わらない。

伝わらないが、それで作品がつまらないかというと、悪そうな組織の親玉が射殺されるんだから喝采するのかもしれない。私は史実を知った上で鑑賞しているのでどういう感想になるのか保証の限りではないが。

 

堤幸彦監督、唐沢寿明の主演の映画「20世紀少年」は、浦沢直樹による漫画「20世紀少年」を原作とし、2008年8月に第1章、2009年1月に第2章、2009年8月に第3章がそれぞれ公開されたシリーズモノだ。

そしてラストは原作漫画とは異なり映画独自の結末を迎える。原作漫画を読んでいなければ分からないネタだが、さほどつまらないとは思わなかった。ヘンな映画だなとは思ったが。いかにも浦沢作品らしいキャラクター造形をリアルに再現して、むしろそっちの方が本命だった。

こっちは漫画未読で映画鑑賞した上での感想だ。

 

最新映画でいこうか。

2026年の映画「プラダを着た悪魔2」は、2006年の「プラダを着た悪魔」の20年越しの続編だった。わたしは鑑賞前、妻から厳命され、一緒にネトフリで履修を義務付けられた。

まあ、確かに、前作を見ていたからキャラクターの関係性は奥行きが出ると思う。冒頭10分の間にも前作オマージュと思われる部分が大量に投入されていて興味深い。それは思う。

 

だが、2006年の映画を2026年に鑑賞しても予備知識だったのかが疑問だ。

紙媒体の雑誌がトレンドの象徴だった時代ではなくなり、アプリで嗜む層が大半になってしまった2026年の時点で2006年の作品を観ても十分でないように思える。当時の価値観とは別の視点で作品を観ることになるからだ。いわゆる時代性の問題。

こうなると、そもそも予備知識を仕入れることができない。

 

何が言いたいか。

つまり予備知識がないと映画が楽しめないなどというのは、そういう人もいるだろうけど、たいていの人は予備知識の有無に関係なく楽しめる。そうじゃない作品も存在はするが、それは怒髪冠を衝く勢いでレビューに書き散らせばよい。

映画というのは不満も込みで楽しむ媒体だ。わたしはそう思っている。

 

次に問題なのは、予備知識が必要だというレビューは、いったい誰に向けてのレビューなのか、ということ。

予備知識がないと楽しめないから制作陣はけしからんといいたいのか、予備知識がないと時間と鑑賞料金を無駄にするから観るのをやめろと言いたいのか、どっちなんだろう?

これがもし後者だというなら、実に罪深いと私は思う。

 

後者の立場であるならば、たとえば「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」を観るに当たってどこまで鑑賞しておけという話なのか。

これがとんでもない話なのだ。

 

映画のスパイダーマンはトビー・マグワイア主演/サム・ライミ監督の映画「スパイダーマン」シリーズ三部作、アンドリュー・ガーフィールド主演の「アメイジング・スパイダーマン」二部作、トム・ホランド主演の映画「スパイダーマン:ホームカミング」からの三作がある。

他にもアニメ版映画が2本あり、途中参戦したMUCは3作品。予備知識がいる派の中にはMUCの文脈もいるという主張もあるから、それら公開済み38作品。

さらにテレビシリーズ版、コミック版となるとキリがない。

 

そして本作「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」に登場したジーン・グレイが要予備知識の根拠だとするならば、これだけでは足りない。

実はジーン・グレイはMCUには登場していない。MCUとは別物のマーベル作品、X-MENシリーズのキャラクターだ。2006年の映画「X-MEN:ファイナル ディシジョン」か? もしくは2019年の映画「X-MEN:ダーク・フェニックス」の方か?

いや、ここまで仕入れとけってなると、最初から内容が分かってないと無理ですやん。

 

だから分からない。「予備知識ないとダメ」とは誰に向けたメッセージなんだ?

 

わたしが思うに予備知識とは、あれば深く楽しめるものであって、必須なものではないと思う。分からなくてイラついたという話なら、それは「予備知識がないと」云々ではない。

だいたいの話、「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」においては劇中で予備知識がいらないと言外のメッセージがあるじゃないか。「スタテン島の借り」がそれだ。

 

「スタテン島の借り」とは、スパイダーマンとパニッシャーのやり取りで頻繁に登場する。中身は分からないが、どうやらスパイダーマンがパニッシャーを助けるか何かしたらしい。で、それをテコにパニッシャーに頼みごとをさせるシーンもある。

調べたって情報は出てこない。ないんだから。

これは制作陣からのメッセージだと思う。予備知識に振り回されないでっていう。それを素直に受け取ろうじゃないか。

 

さらにはサブタイトルよ。「ブランド・ニュー・デイ」とは、それこそ意味不明かもしれんが、単語をそのまま読もう。

ブランドの、新しい、日。

新章突入宣言なんだよ。なんでわざわざ過去作とセット視聴させようとしてんのさ。あんたはネトフリかディズニー+の回し者か?

 

制作側の企画会議を連想する。スパイダーマンみたいな有名どころだと単体作品だけではつくれない。かといって予備知識を強いるのも違う。

この場合、予備知識はアクセントに、単体で楽しめる、参入障壁の少ない作品にするだろう。どっぷり予算がついているわけだ。コケるわけにはいくまい。だとしたら最初から間口が広い作品にするでしょうよ。

それがこその「スタテン島」であり、サブタイトルの「ブランド・ニュー・デイ」だ。何しろこのサブタイトル、コミック版とは全然連携してないからね。そういう話じゃない。スパイダーマン=ピーター・パーカーを世界が忘れたという部分だけしか共通点がない。だから意味を汲み取ってあげてよ。

 

もしかして妙にこだわりが強くて全部知ってないと気が済まないというタイプの人が、「予備知識がいるー。絶対なんだー」ってなっているんだろうか。

タイパ・コスパが気になる層は余計に気になるのかもしれない。だが、昔から意味深な単語が何の意味も持たないというのはよくある。小説の話ではあるが、ウィリアム・ギブスンの小説「ニューロマンサー」は、スプロールとかスピンドルとか、なんならジャックインだって(今でこそサイバーパンクの代表的な用語だが)、発売当時はよく分からずに読んでいた。そういうものだった。

 

これはフィクションの話に過ぎないが、現実世界も似たようなものだ。知らない単語は山ほどある。スマホで検索すれば分かる単語も、新語やスラングで解説のない単語もある。

全部わからなくてもドップリ浸かれる世界はある。そういう楽しみ方を見出すというのは無理なんだろうか。

 

わたしはむやみとハードルを上げて一緒に同じ作品を観ることができただろう人たちを、知らぬ間に追い立てているような気がして面白くない。

「予備知識が必要だ」とは、逆にいえば持たざる者は観るべからずと同義だ。ひどく狭量な話じゃないか。

自分がイミフで腹を立てたのは分かる。だからといって、他人の楽しみの可能性を奪うようなテキストを乱暴に放つのはどうか。職業ライターじゃなくても、映画ファンなら、それくらいの礼儀をもっていいんじゃないのか。わたしはそう思う。