原作未読のまま鑑賞に臨んだ。そもそも原作小説の存在を知らなかった。事前の何の情報も入れずにチケットを購入した。
多数のキャストによる時代劇。150分の長尺。ちょっとどんな映画か想像できなかった。だが鑑賞し始めて早々に菅田将暉演じる黒田官兵衛が、「ミステリと言う勿れ」で菅田将暉が演じた久能整に重なってしまい、作品世界に入り込めたような、入り込めないような不思議な作用がはたらいた。
鑑賞後、本作には原作小説が存在し、映画タイトルと同名の歴史ミステリ小説が下地になっていたことを知る。
しかし本作が歴史ミステリ映画になっていたかというと、それはどうだったんだろうか。
映画の構成はこうだ。
織田家に仕える武将の荒木村重は謀反し、有岡城に立て籠る。
じきに身近に裏切りが発覚、人質として城内にあった少年の沙汰を家臣に迫られる。村重は蟄居としたが、早々に殺害される。
このままでは城内が荒れると犯人捜しを始め、その相談役として城下に捕らえてあった黒田官兵衛を頼る。
映画のイントロでは城内で少年が殺されるとあるから、これをメインに話が進むのかと思いきや、「冬-自念」として始まり、以降、春夏秋と続く4章立てのストーリー。
これを150分でやるのだから恐れ入る。一つあたり40分未満。4話完結のテレビシリーズと思えば相当に豪華な作品だ。
しかし実のところ、ミステリとしてはどうなのか。アラン・ポー著「モルグ街の殺人」からミステリー小説が始まったとされるが、科学的合理的な探偵手法は時代劇という枠組みとはことごとく相性が悪い。
少年の殺された状況から3尺に開いた障子のすきまから弑されたという状況は、村重がさまざまに思案して検証するのだが、実に難儀な構造。確かに密室ではある。
とはいえ、少年のいた部屋に人入りがなかった保証は村重による尋問により確保されたもの。ここでウソをついたものがいた場合、観客は謎解きに参加できない。そして劇中でも官兵衛の助言によりウソが露見、殺害手法も判明する。判明するが、その道具をどうやって持ち込んだのかは解明されない。
観客たる私は解決があるものとして鑑賞し続けるが答えはもたらされない。この時点で時代劇なのだろうかミステリなのだろうかという疑問が脳内でラリーし始めることになる。
結局、この時代劇なのかミステリなのかという疑問のラリーは最後まで続くことになった。
問題は、下手人たる人物が劇中でほとんど事前説明されないこと。ようするに多数のキャストの中の一人が謎解きと同時に深掘りされるため、犯人捜しに観客は参加できない。
変事が起きる。村重が犯人捜しする。困って官兵衛に助言を求める。安楽椅子探偵ならぬ地下牢探偵の官兵衛がヒントを示し、村重が謎解きシーンで犯人をつるし上げる。
この繰り返しを4回も見せられる。
先ほど4話完結のテレビシリーズと書いた。なるほど、キャストは豪華だし、美術も立派だ。役者陣の演技も素晴らしい。だが、構造がこうなっているため、観客はどういうポジションで観ていいのか分からなくなる。
しかも主人公の村重は不殺(ころさず)を信条とするため、暴れん坊将軍よろしく犯人を誅することがない。これは困る。時代劇の価値観にあって、咎は認めるが罰せず、守備にて功を立てよと言われても、観客は落としどころを見失う。
本作が厄介なのは、ミステリ、時代劇、不殺の城主という三すくみが、今一つ全体として組み合っていない、むしろ相互に牽制し合って見える点にある。だから観客はスッキリしない。
加えて地下牢探偵の官兵衛は菅田将暉だ。どうしたって「ミステリと言う勿れ」の久能整とダブってしまい、ますます入り込みにくくなる。
それでも主演の本木雅弘、わきを固める青木崇高、オダギリジョー、柄本佑らが迫真の演技をするから最後の最後まで映画ではあった。菅田将暉も悪くない。悪いのは彼を官兵衛にキャスティングしたプロデューサーだ。
どう評価すべきか分からない。原作小説はどういう作品だったのだろう。多少の関心はあるが興味は持てない。読破するだけのモチベーションを本作は与えなかった。
しいて言うなら、こういう難儀な構造の映画作品は、まあ、こうなるよねという感想を今後の映画鑑賞の題材とするには格好の素材。映画ファンなら観るべし、となるだろうか。

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