妻に「プラダを着た悪魔2」を観に行くと言ったら、「前作は観たの?」と。観てないと返すと半ば強引に前作を視聴させられ、ばっちり予習を済ませて鑑賞に臨んだ氷河期じじいが私だ。
前作はファッション誌「ランウェイ」編集部を舞台にしたバリキャリ女子の物語だったが、本作はそこからステージが拡大される。
もはや紙主体の媒体は生き残れなくなり、デジタルが主体で閲覧数と無縁でいられない世界、一流ファッション誌「ランウェイ」も荒波に飲み込まれ、今にもパッチワークのようにバラバラに切り裂かれそうになる世界。
この文化が軽視され、スピードとマネーがビジネスを荒廃させる世界で、ファッションとテキスト、それぞれの分野でどう抗うかが描かれる。
にしても前作への目配せが冒頭から利いていて興味深い。
ニューヨークの街並みを歩くアン・ハサウェイ演じるジャーナリスト・アンディは、露店の前を通りかかる。そこで青いベルトを客に示す店員。前作を覚えている人ならニヤリとするカットだろう。
他にもミランダのアシスタントがトイレも行けないくらい持ち場に張り付いていないとダメだとか、ミランダ自宅では階上に上がってはいけないとか、前作ネタを怒涛のように送り込んでくる。
これ、別に前作を知らないなら知らないで特に意味をなさないが、知っている人には「ほら、『プラダを着た悪魔』ですよ」って教えてくれるようでグッとくる。
ただ、前作と同じなのはこの冒頭部分だけの話で、以降はいろいろと様変わりした世界が広がっていく。
記事は閲覧数が稼げないと価値が認められず、たった一つの記事で雑誌の価値が下がったと広告主から批判される。
いきなりオーナーから揺さぶりをかけられるとか、広告主がデカい顔して誌面に注文を付けてくるとか、前作でこんな荒っぽいシーンはなかった。荒っぽいのはミランダの人使いの方で、編集部を取り巻く環境までは大きく描かれなかった。
前作は新旧バリキャリ女子のビジネスにおけるサバイバル術と、ワークライフバランスが崩壊したミランダとアンディがいかに人間を取り戻すかという話だった。
今作も似たような要素はあるが、どちらかというとファッション誌「ランウェイ」を通してファッションとこれに関わる人たちをどう守っていくのかという部分が強い核となっている。
これをして前作ファンほど今作に対して厳しい評価をしているようにみえる。
とはいえ、それはあまりに酷だろう。
メディアが紙からデジタルに移行しつつあり、またマネーによって容易に事業がパッチワークされる様相は現実をトレースしており、そこを無視してバリキャリ女子だけ取り出したところでうまくいくまい。
仮にどうにかビジネス背景を前作に寄せたところで、作品世界は現実世界と同様に時間が進んでおり、新人記者のアンディはどこにもいない。ミランダも雑誌編集長というポジションで安泰というキャリアではなくなった。
つまり20年という年月が経過してしまったことは揺るがしようがなく、したがって凍結した時間の中で前作同様の構図を描くこと自体が無理だ。
したがって、前作のような華やかさ、バリキャリ女子の成長物語を期待するのは"ないものねだり"と言っていいだろう。
なまじ冒頭で前作を匂わす要素がちりばめられたために期待した前作ファンは、ストーリーが進むにつれて落胆したのだろうが、それは20年という時間の流れを受け止めて鑑賞してほしいと思う。
わたしはむしろ、マネーで蹂躙されてしまい、裏切りと策謀で人間不信のまま閉幕になるのを避けて見事な着地をした作品だと思った。
むしろ多様な人種をキャスティングに織り込むなど、かなり前向きで意欲的な作品だ。
作中ではマネーが文化をぶっ叩き、マネーの象徴である金持ちがAIを引き合いに出してクリエイティブを否定するシーンなどは観客にショックを与えるだろう。安易に答えを出さず、観客に考えさせる構造になっている。
そして妻から半ば強引に前作を視聴、予習させられた件については、前作と地続きの部分はアクセントで予備知識を要求するものではないと言い切れる。
ただし前作から続投組のキャラクターは、前作の人間関係を踏襲している上、それらをくどいほどの説明で作中解説したりはしない。
前作は鑑賞したが細部を忘れたという事ならば、予習した上で観た方が深みが増すことは間違いない。
そして本作公式のギャラリーだ。ブログに使うには横長の画像が欲しいが、映画を象徴する画像は全部縦長だ。PCではなくスマホで情報を受け取る時代になっていることを、公式サイトそのものが象徴しているように思える。

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