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AI失業なんかあるわけない - 昔話「なまけ弁当」にみるツールを使う労働者の意義

タイトル:AI失業なんかあるわけない - 昔話「なまけ弁当」にみるツールを使う労働者の意義

 

「AI失業」という言葉が再燃している。

野村総研(2015年)が出した「AIの導入により日本の労働人口の約49%が10〜20年以内に代替可能」が出発地点だが、2026年現在において失業率2.6%で変化なし。

 

「AI失業」というワードがただのビジネス商材になっているのではないかと思っていたところ、フォーブスが以下の記事を出した。

 

forbesjapan.com

わたしもむしろ、この記事に書かれているようなことが実際に進行中なのだと思う。

 

フォーブスは以下のように主張している。

 

業界を問わず、生成AIはタスクを開始する際の摩擦を低減している。下書き、コーディング、モデリング、要約、調査はすべて、開始が容易になり、反復が高速化している。しかし、その結果は労働時間の短縮ではなく、むしろ業務範囲の拡大となっている。

マネージャーはより頻繁に技術的なタスクを引き受けている。創業者は小規模なチームをAIコパイロットに置き換えている。エンジニアはAIが生成した出力をレビューし、修正している。かつてはチーム間の調整を必要としたタスクが、今では個人で実行可能に感じられるようになっている。

AIは必ずしも仕事を減らしているわけではない。むしろ、可能と感じられることの最前線を拡大し、エンジニア、デザイナー、プロダクトマネージャーの境界線を曖昧にしている。

高いレバレッジを持つオペレーター、創業者、投資家、専門エンジニアにとって、この加速は生産量を増やすことで優位性を複利的に高めるが、同時に期待値も高まる。新たな基準は「すべてをこなせる」トップオペレーターとなるだろう。この仕事に対する報酬は依然として大きいが、ますます集中していく。週50時間労働は縮小するのではなく、むしろ拡大し、複数の分野横断的な業務フローとエージェント的フローを同時に激しくバランスさせることが求められるようになる。

AIは労働時間を減らさない──むしろ仕事を激化させている現実 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

 

確かに業務の一部は負荷が少なく、スピードも増しているが、これは労働時間の短縮ではなく、業務範囲の拡大となって表れているという。

つまりかつてはチームが担うタスクが個人レベルに落とし込まれ、それによって経営層や投資家に期待を持たせ、さらなる労働に駆り立てるというスパイラルに入っている。

 

他方でこういう指摘もある。

スーパーの店員にはレジ打ちのほかに商品の発注や陳列といったタスクがある。このうち、セルフレジがレジ打ちのタスクを消滅させたとしても、ほかのタスクは残る。ゆえにスーパーの店員という職業は消滅しない。このような結論が出たとしても、レジ打ちのタスクがなくなる分、雇用の何割かが減少する可能性は残ります。そうであれば、スーパーの店員が失業にさらされないとは言えないでしょう。

AI失業に関する議論をミスリードしているのは、「人間を代替する技術」は雇用を奪う可能性があるが、「人間の能力を拡張する技術」は雇用を奪わず、むしろ生産性を高めるといった主張です。

たとえば、レジ係とセルフレジは代替的です。それに対して、パワーポイントのスライドを作成してくれるAIは、私たちの能力を拡張するものと考えられます。営業で頻繁にパワーポイントを使う人は、こうしたAIが登場することによって労力を節約でき、その分より多くの仕事をこなせるようになります。こうして、拡張的な技術は生産性を向上させることができるというわけです。

しかし、「代替」と「拡張」には見かけほど違いがありません。セルフレジが導入されてレジ係が必要なくなれば、より少ない店員でこれまでと同じ量の仕事を回せるようになります。そのため、店舗をもう1軒増やすことが可能になるかもしれません。そうであれば、店員の能力が拡張されたものと考えることができます。

人工知能が私たちの仕事を奪う経済学的な根拠 AI失業を軽視する考えはどこがおかしいのか? | ライフ | 東洋経済オンライン

 

こちらは「AI失業」が起こりうるという立場から主張されたもの。

生産性を高めることでこれまでの職務の一部が減ることで雇用減少の可能性がある。しかし少ない人数で事業所を運転できるようになると、新しい事業所が増えるかもしれない。

記事では産業革命により機械化が進んだ結果、旧来の仕事をする職人が仕事を失ったとして打ちこわし抵抗運動を引き合いに出している。AIにより同様のことが起こりうると警鐘を鳴らしている。

 

確かにAIが全く使えないとなれば、その人はAIが標準化された仕事を継続できないかもしれない。しかし実際には代替は一挙に起こるというより徐々に進行する。一部職種は大胆な変化が起こるかもしれないが、そこで起こるのは淘汰であって失業と言えるのか?

さんざんAI活用が言われているのに、その最前線に立つ職域でAI使用をしなかった職場、労働者は、自己研鑽をしなかったことのペナルティを受けるに過ぎない。

それをして「AI失業」というなら、それはそうだろうが、これは他の資格取得によりステップアップするケースと何が違うのか。資格取得の機会はあったのに試験をパスできなくて失職する人は、「AI失業」という言葉が内包する構造的な失業と同等なのだろうか。

 

むしろ起こりうるのは、AIによって業務を幅広くカバーすることが求められ、それがスタンダードになって労働負荷が強くなること、これにより脱落することのように考えられる。

直近でのOA機器の進歩、産業ロボットの導入、ICT革命などは、産業の生産性向上には貢献したのだろうが、労働環境を劇的に向上させたとは言えない。

生産性は向上したが労働分配率は低下した。便利な道具を与えられて成果を出したが逆にもらいが減った。これが直近で起こったことだ。同様の潮流がAIによって引き起こされないとは到底思えない。

 

経営者は管理職は「AIを使え。今より速くできるだろ」という。

だが、速くできた先にはより多くのタスクが与えられる。生み出された追加の成果によって得られたはずの果実は、労働者に分配されない。

 

昔話に似たような話がある。「なまけ弁当」という話がそれだ。

 

話の筋はこうだ。

吉四六さんは庄屋に言われて畑仕事をした。

人々は「吉四六(きっちょむ)さんはよく働く人だ」というと、庄屋は首を振る。

「あいつは持たせた弁当のために働く。あいつが働くんじゃない。弁当が働くんだ」と人々に言って聞かせた。

翌日、庄屋が畑を見に行くと、吉四六さんが寝ている。庄屋は血相を変えて駆け寄るが、吉四六さんは慌てずこう返した。

「弁当が仕事するというので、日がな一日眺めていましたが、ちっとも働きませんなあ」

みると畑に突き刺した鍬に弁当が括り付けられている。あっけにとられた庄屋をしり目に吉四六さんはすたすた立ち去った。

 

「AIが仕事するのだ」という。

しかしAIが完全自動化するわけではない。どれだけ自動化を実現したとしても、その手前には調整の仕事が必ず入る。あるいは自動化された成果をチェックが必要になる。

労働者が完全不在の職場はどうやっても存在できない。

 

便利な道具の出現によって酷使される環境に追い立てられるなら、業種・職種・雇用形態を問わずに労働者で連帯して抵抗する。こっちの方が重要ではないか。

かなしいかな、この手のプロレタリアは経営者の神経を逆なでするためビジネス雑誌には展開されない。むやみと不安をあおって労働者を酷使する状況を加速させるだけだ。

「AI失業」という言葉のインパクトも、これを支えるに他ならないと思うがどうか。

 

第一、日本は空前の人手不足の構造にある。少子化により現役世代の減少が待ったなしで進行中だ。あらゆる業種で外国人材の登用が進む現在、新たなデバイスによって人手不足が起こるような環境にないと考える方が妥当だ。

高齢者を定年延長で留め置く制度も同時並行で進行しているが、身体的制約で事故の多発する世代にAIは救いの手にならない。タッチパネルの操作も立ち往生する世代にこれは適用されない。

 

考えるべきはAIが何を起こすかというより、AIによりどう社会デザインするか。こちらの方だろう。それを個々の労働者や職場への影響といった野放しの話に着地させるのは乱暴すぎる。

それをするなら、いよいよ「AIが仕事するというので入力デバイスから手を放して眺めていましたが、ちっとも仕事しませんのう」と突き放すフェイズに入ったという事だろう。

 

AIで豊かさを取るか、搾取に追い込まれるか