きのけんぶろぐ

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AIを使う最高のアイテムは自己肯定感

先月初旬、AI疲れについて書いた。

あれからぼちぼち考えていたことについて整理する。

 

cinochenus.hatenablog.jp

 

AIに自分のデジタルアーカイブを丸ごと投げ込んで、自分の嗜好をそのまま反映させることで仕事の効率化を図った結果、AIに眠れないほどの興奮を覚えて生活に支障をきたす。

それをもってAI疲れとし、その処方箋として書いたものだが今一つピンとこない。自分でもそう思うんだから読者も理解できないだろう。あれはあれでAI疲れのメカニズムを議論した点はよいが、対処療法の提案としては弱かった。

で、その第二弾として書く。

 

先の記事ではAI疲れは「自分相手のエコーチェンバーだ」とした。

自分が求める回答を自分の選好基準に基づいたものにしていくことで、共通する価値をもつアカウント同士で生じる価値の打ち合い以上の興奮が、AI疲れになるだろうと主張した。

 

ただ、エコーチェンバーそれ自体に言えると思っているが、あれは自分が欲して得られないリアクションを似たような価値観同士で打ち合うから非常な興奮として受け取るのだろうと考えている。

言い換えれば、自分が何か欲している認知コンディションをどうにかした方がいい。自分に足りない何かを自分以外に求めるのではなく、もう少し満たされた自分を作れと言いたい。

ようするに「自己肯定感を高めましょう」ということだ。最近では猫も杓子も言いがちなことではあるが、AI活用の最前線でも通じる真理ではないか。

 

AIのやりすぎで頭がおかしくなっている - 運河では対策として

冷静でいる工夫をしてほしい ということ。

他人を見るときには「こいつは頭がおかしくなってる」と割り引く姿勢を身につけてほしい。ネットから隔離された自分の時間を持つようにしてほしい。散歩する習慣を持つのもいいし、遠くに旅行にいくのもいいし、自然で時間を過ごすのもいい。 なぜその時間が必要なのかわからなくても、念のため自分を守るために時間を作ってほしい。

 

AIのやりすぎで頭がおかしくなることにすら慣れた - 『AIのやりすぎで頭がおかしくなっている』を読んで - じゃあ、おうちで学べるだと

先に転んだ人間として、2つだけ伝えておく。

物語を読め。答えの出ないものに触れろ。

AIは常に答えを返す。小説は答えを返さない。その沈黙の中に、最適化できない人間の時間がある。寝る前の30分でいい。エージェントを閉じて、ページを開け。

身体を動かせ。何でもいい。

私の場合はキックボクシングと柔術だった。ランニングでもいい。ダンスでもいい。水泳でもいい。加速を忘れられるものなら何でもいい。 大事なのは、AIが介在しない時間を身体に作ることだ。散歩では足りなかった、と先に書いた。でもそれは私の場合だ。散歩で十分な人もいる。自分に合うものを見つけてくれればいい。

 

いずれも自己防衛の対策を打てと主張している。

AIを使う環境からは避けられない。早めに挑戦しろと言いつつ、AIから離れる手段を持てというのは興味深い。

 

で、わたしだ。

わたしもブログを書くにあたってgoogleAIのGeminiを使っている。

ただ、わたしはどういうわけか別にAIに侵食されたという感触が全くない。AIの使い方も違うのだろう。わたしは個人ブログの運営に使っているのみで、仕事上はまるっきりアナログな機械が相手だ。

それが違いになっている可能性もあるが、わたしからするとAIはすぐに褒めてくるし、ありもしない論文タイトルを提示したりするなどウソに煩わされるし、それほど万能な相手だとは思っていない。自分のデジタルアーカイブを読ませようと思えるほど切迫感もなければ、そうして自分の選好に近いリターンを求めてもいない。

 

そうなっているのも自己肯定感がアンカーになっている気がする。わたしは自分が十二分に満たされていると思っているわけでもないが、さりとてまったく世間から拒絶されているとも思っていない。

個人でパーナリティ診断しても、職場でストレスチェックしても、安定的に自己肯定感を維持しているのではないかと思っている。

そして、これがあるからこそ、もう一人の自分に成り代わるリスクとしてのAIから防衛していられるのではないかと考える。

 

その先の対策は、AI疲れを吐露した二人のブログ主と大差がない。

ようするに自分を埋める何かを探せ、それがないなら身体的な刺激として散歩なりスポーツなりやるとよい。小説でも映画でもゲームでもいいだろう。そうして自分に滋養を与える。間違っても、自分そのものをリターンさせるような、この記事で繰り返し書いたようなエコーチェンバーの巣に戻ってはいけない。

 

そうじゃなくても2026年現在の労働は負荷が強い。手書きして書類作成していた時代より、オフィス機器のなかった昭和バブルの頃より、圧倒的に仕事密度が高い。

そこにAIのような作業を加速度的に進めるツールを入れたらおかしくなるのも当然だろう。

人間は人間のスピードがある。人間がどれほど鍛えても到達できないスピードで動く自動車や航空機を操ったり、書類作成したり品物を生産したりは、認知負荷が強い。

 

農業のように自然のスピード以上にならない産業はメンタルによいという人もいるが、あれは一部で真実を伝えているのだろう。速いのはビジネス競争に打ち勝つことはできても、人間を健康に保つことはできない。

それよりもスピードを守りつつ、それが無理でも自分に滋養を与える時間を確保しないといけない。それを一言で言うなら「自己肯定感を高めましょう」となる。

 

あんまり高すぎると今度は孤高が行き過ぎて人間関係が破綻することもあるが、そんなことを心配しなくても加速度的にスピード感を増す仕事環境にさらされた人は性格がギスギスして高すぎる自己肯定感はへし折られる。

AI疲れという文脈においては、自己肯定感が高すぎる心配はしなくてもいい。

 

また自己肯定感を高めるということなら、わたしが特別に何か言わなくても巷にはそうした情報があふれている。その中で合うものを取り入れればいい。

 

ただ、巷間にあふれる「自己肯定感」という用語は、場合によっては「自己満足」や「肥大した自己」といったネガティブな側面が含まれる場合もある。

この記事では心理学でいう自己肯定感のことで、今一度、定義を確認しておく。以下に二つの定義を示す。

 

心理学ワールド 100号 「弱み」を「強み」に変える心理学 自己肯定感が育つ場所 | 日本心理学会

自己肯定感とは,自分がいて他者がいて,その中で自己の存在を肯定できる感覚である。自分をさらけ出すためには,安心感のある人間関係が必要になる。(中略)心理的安全性のある場所で,他者とつながることで,自己肯定感が育つ

 

自己肯定感 - 一般社団法人日本経営心理士協会

自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定する感覚のことです。

自己肯定感はもともと心理カウンセラーが良く使う言葉「セルフ・エスティーム」を日本語訳したもので、他に「自尊心」「自己評価」「自尊感情」自己重要感」などとも言われます。

他人と比較することなく、今の自分を認め、尊重することによって生まれる感覚です。

 

だいたいのニュアンスが伝わるだろうか。

ごくごく短く定義するなら

「何かに依存することなく自尊心を保持できる状態」

とでもなるだろうか。

これを養う素材として、わたしからはゲーム、映画、小説のそれぞれでオススメを紹介する。

 

わたしのオススメは旧時代のエンタメに接することだ。具体的には古典作品だ。源氏物語やトム・ソーヤの冒険といった作品じゃなくてもいい。1960年代、70年代くらいでいい。なんなら2000年代くらいでも大丈夫だ。

新しすぎるものはダメだ。ソーシャルゲームなんかやっても摩耗するだけだ。steamにも良いゲームがたくさんある。「バルダーズ・ゲート」なんかオススメだ。3じゃなくて初代の方。とにかく新しいゲームは負荷が強い。軽いものがいい。

 

映画も最新のものは長すぎるし構造が複雑すぎる。マトリックス以降はどうしようもなく面倒くさい。余裕があるなら観てもいいが、全体的に負荷が強い。ジョン・ウィックシリーズなど殺しのシーンが連続するだけなのにクソ長い。あんなのは自己肯定感を高めるのに適切じゃない。

映画「(ハル)」なんかはいいかもしれない。ネット以前のパソコン通信でのネット恋愛の話だ。1996年の作品。AIなんか想像もできなかった頃のパソコン環境と恋愛は、2026年の今になって見直してみると良さが引き立つだろう。

 

小説はどうだろうか。わたしも最近の作品はほとんど読んでないので何か言えないが、たぶん無理だろう。とくに"なろう系"はやめた方がいいと思う。何のハードルもなく最初から最強を提示する即物的な物語は刺激が強いが癒しはない。

小説ならピアズ・アンソニーの「カメレオンの呪文」から始まる魔法の国ザンスシリーズで初期のもの。だいたい10巻くらいまでだろうか。日本のものだとパッと思いつかないが赤川次郎の三毛猫ホームズや東直己の「探偵はBARにいる」は悪くない。マンガならZ以前のドラゴンボールでもいいかもしれない。

 

身体的な刺激、たとえば散歩やスポーツもいいとは思うが、AI疲れの極致にいった人に可能かどうか判断つかない。犬や猫を飼うのもいいとは思うが、それで飼育崩壊になっても悲劇だ。わたしは手に取りやすいエンタメで解決するのが先決だと思う。