きのけんぶろぐ

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新作映画「人はなぜラブレターを書くのか」レビュー:監督はなぜ過剰な演出を入れたがるのか(ネタバレあり)

綾瀬はるか主演の映画「人はなぜラブレターを書くのか」を観てきた。綾瀬はるか主演だから観に行ったのだが、菅田将暉、妻夫木聡、佐藤浩市という重厚な布陣、なかなかすごい。

妻夫木聡がとくにすごい。彼のイヤな役といい役の両方できるすごいところが本作でもいかんなく発揮されている。

菅田将暉もすごい。画面支配力が異常。

 

おおむね良好だったが、最後の最後にコケた。というか、あれはどうなんだろうマジで。鑑賞後の感想を妻に話したが、「パパ何度も同じこと言ってるーww」と言われてしまった。

なんかなー、分かるんだけど分からないっていうか。これはね、もうネタバレでいきますよ。しょうがない。じゃないと伝えきれないから。観た人に分かってくれたらいい。

 

ネタバレって書いたよ。

タイトルにも本文にも書いたよ。

読んでから怒るのなしね。

ネタバレでいきますよ。

 

ネタバレですよ。

 

 

作品はおおむね良い。

映画タイトルに「なぜラブレターを書くのか」っていうから、観客もラブレターを書くんだろうと思っているが、劇中はなかなか綾瀬はるかが書かない。書くが出さない。

だが、その心情が言葉でなくしぐさや関係性で伝わってくる。佳い。

妻夫木聡のぶっきらぼうな夫もよい。映画「来る」における妻夫木聡演じる夫はネットに向けて育メンパパを演じる一方、実際には黒木華演じる妻に丸投げっていうモラハラなダメ夫だったから、これはキャスティングが効いている。すごくいい。

今回もダメ夫役でくるのかと思いきや、中盤から理由が明かされてグッとくる。「娘に話さなきゃ」「いつまで隠しておけないだろう」と何度も言う。彼の態度から離婚かと思わせて裏切られる。佳い。すごく佳い。

 

ラブレターを書く相手、富久信介役の細田佳央太の人物像も、何度も何度も過去と現在を織りなして伝えてくるのがよい。「実はこうだったんです!」と一気に説明調で届けない慎み深さが、富久信介の人物像を観客にじっくり伝えてくる。

 

列車事故で息子を亡くした父役の佐藤浩市、ボクシングジムの後輩を亡くした先輩役の菅田将暉、それぞれがラブレターの相手、富久信介を浮き上がらせる。

列車を運行していた営団の無礼な態度を津田寛治が好演している。静かな怒りをたたえる佐藤浩市が、対峙する相手に申し分なし。

菅田将暉は富久信介との約束を果たし世界チャンプになるのも、作品を盛り上げる。

 

おおむね良い。

ラブレター相手の富久信介を深く丁寧に掘るので、映画の軸ははっきりした。

同時に綾瀬はるかをとりまく環境も、ぶっきらぼう夫の妻夫木聡と娘との関係から伝わってくる。同時に、「なぜ書くのか」が明らかになる。必然の理由が示される。

 

ようするに綾瀬はるかにとっては亡くなった富久信介が生きた相手だったのだが、綾瀬はるかもまた誰かに残る生きた相手になる。

ハッキリ言おう。綾瀬はるかは病気で亡くなる。なくなってなお、彼女の生きた証が娘にリレーされていく。そこが本作の白眉。人は亡くなっても消えてなくなるのではなく、かかわった人たちに残り続ける。

そこが最大のフックになっている。

 

でもだったら!

だったらなんであのラストなんだよ。

綾瀬はるかを受け継いだ娘のアップがフェードアウトしてスタッフロールでいいでしょうが。

なんでそこで綾瀬はるかを出すんだよ。出さなくても彼女が娘に宿っているって演出になってればいいじゃない。出すんじゃないよダサいな。

あとね、綾瀬はるかが演じた女性、寺田ナズナな。娘が前フリで「ナズナはどこにでも生えてる。ママもどこかで見ている」と言わせて、それをそのまま画面のラストカットにすんな。綾瀬はるかは死んだけどナズナは元気に生えてますってラストカットはいらねえって。

 

このラストカットがわたしには妙に興ざめだった。

ほかはまあ、別に悪くない。菅田将暉のタイトル獲得戦は、富久信介の先輩というには主人公然しててうるさいと思ったがまあ許せる。

佐藤浩市も、妻夫木聡もよい。だが、そこにキャスティングの重きを置くより、この脚本なら娘だろ。綾瀬はるかを引き継ぐ娘に力点を置けよ、と思ってしまった。

言ってしまえばデビュー当時の沢尻エリカ、小松菜奈級のキャスティング、序盤は娘の存在感ないなーって思わせつつ、中盤から存在感を示してラストで綾瀬はるかからバトンを受け取る。そういう演出が可能になるキャスティングしろよと。

 

あるいは私が知らないだけでナズナの娘寺田舞役の西川愛莉はすごい役者なのかもしれない。

でもだったら、だったらラストカットは西川愛莉のアップでフェードアウトしてスタッフロールにいけよ。

監督は彼女が信じられないから、綾瀬はるかを出して、最後はナズナを映してスタッフロールするんだろ。そういうテレビみたいな演出を見せられるとまじ萎える。

映画の観客はな。テレビみたいに答え合わせしないんだよ。何だったんだろうと思いながら劇場を出て鑑賞後の感傷にふけるんだよ。過剰に答えを配置するなんてダサい真似すんな。

 

等々の鑑賞後感想を妻に話して、そして「パパ、ずっと同じことを繰り返し言ってるーwww」につながるのだ。

妻は「監督は綾瀬はるか主演の作品にしたかったんでしょ」とも言うけれど。

いや、別にそれはラストカットを綾瀬はるかにしなくてもよくない? ナズナが亡くなった後も医師になろうとする受験生、ナズナの娘の静かな決意を秘めた表情をアップにしてスタッフロールでよくない?

 

これが画竜点睛を欠くというか、ただ一つの汚点というか、どうしても割り切れずに残るノイズというか。わたしには我慢のならないラストカットだった。

 

そこを許せるなら、わりといい映画だと思う。