きのけんぶろぐ

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元自衛官で心理学修士のキャリアは私に特異な認知フレームを与えた

「公人」と「私人」の使い分けは可能か - きのけんぶろぐで少し書いたが、「自衛官は入隊したら一生自衛官だ」と思っている。確かに。

「営業やってました」「田んぼメインの農業やってました」といったところで、今は製造業のサラリーマン。元営業だったり、元農業だと言えることは言えるだろうが、それが何かを意味することはない。

 

しかし元自衛官で心理学修士というのは、ちょっとしたものだ。家庭の事情もあり、思ったほどの勤務年数ではなかったが、対空火器を扱う経験は元営業、元農業というのとは全然違う印象を与えるようだ。一度などは「なんで最初から元自衛隊だって言わないんですか」とすごい勢いで詰め寄られたこともある。こんなことは他の職業ではありえない。

ひるがえって心理学を修めたことも、わたしの人生に刻み込まれているのだと思う。

 

思い返せば大学入学時のガイダンスで学部長が「みなさんはこれから考え方が変わります。否応なく心理学で物事を考えるようになります。それが嫌なら今から退学するしかありません」などとあいさつした。当時はずいぶんと挑発的だと感じたものだ。

今にしてみれば、なるほど、言ってることも間違っていないように思う。

学部4年プラス院2年の計6年間で、「刺激に対する反応」「長期記憶と短期記憶」「閾値」「氏か育ちか」「異常と社会適応性」「ラポール」「心の所在」エトセトラエトセトラ。非常に多くの概念を吸収することが出来た。もう大学入学以前には戻れそうもない。

 

修士取得した直後はさほど実感することもなかったが、学位取得から20年以上になる現在、人間・集団の理解、社会の観察・観測などにおいては十二分に心理学が発揮されたと思う。

 

たとえばエンタメと消費において、最初は可処分所得にカバーできる範囲で高価なもの効果あると信じていたが、ある水準に達すると満たされることが分かり過分な支出をすることがなくなった。それが今に至る映画鑑賞につながっている。

A級アーティストのライブやメジャーなスポーツ観戦もいいのだろうが、それと映画は満足度において差がないと気付いてしまい、以降は機会が得やすい映画館での映画鑑賞にシフトしていった。

 

あるいは対人関係においても難しい人を他と同じように付き合うのではなく、接点を極小にして少なくてもこちら側からはうまく機能するポジションに相手を押し込んでストレスのない環境づくりをするとか。

 

自衛隊でも士気は重要だった。ここに心理学を修めたことでより一層の有用性を与えている。ミスして叱るといっても、相手に許容できる容量や状態がなければ効果がないので、自身に負荷がかかるとしても時と場合によってセーブするとか。

結局、自発的・自律的であることが何よりも有用だ。職場に限定すれば最初から報酬が用意されている分、誘導は比較的容易だ。それを怒鳴りつけるようなネガティブな負荷を不必要に施す理由がない。

プロジェクトに対して自律的である状態は、当人にとってもチームにとっても有益だ。怠けてもチームの足を引っ張るだけで意味がない。これを共有するだけでも違う。

 

ちなみに私は高校から自衛隊、退職してから大学進学というルートを通っている。自衛隊は短い在職期間だったが、それだけに大学在学中は頑張った。高校と大学の間に自衛隊という回り道があると当時は考え、その分、学びたいというモチベーションが高かった。

同じ授業料を払うならたくさん学ぶ方が効果が高いとばかりにコマをたくさん入れた。結果、卒業に必要な単位を大幅に上回る取得単位を得た。卒業免状を大学4年間の目標として最小単位で修めたいとする人たちとは正反対のアプローチだった。

昨今はタイパ・コスパがやたら言われるらしいが、わたしだって効率を重視している。どうせ投資するなら最大の効果を得ようと励んだ。

 

良くも悪くも私は学部内で知られていたようだ。浪人して入学する学生は別に珍しくないが、元自衛官というのはあんまりいないだろう。それも社会人入試じゃなく学力入試で入ったとなると。それも手伝ってか、勝手なイメージで評判が広がっていたように思う。

大学院に進学すると、当時でも院に進むのは少数派の変人ばかりとあってか、あまり目立たなくなった気もするが、修士課程は修士課程で忙しい。研究テーマの決定と実験に次ぐ実験、学会発表と論文。学部ほど楽しかった記憶もない。

 

よく中学・高校のクラス会は残酷だと聞く。当時は重なる環境も多くて仲良くできたが、卒業後のさまざまな経験を経て重なり合う部分が小さくなってしまったのに、たまたま子どもの一時期を一緒に過ごしたというだけで再会しても会話が成り立つとは限らない。

楽園の男女が禁断の果実を食べたことで追放された話があるが、あれも知恵を身に着けたせいで一緒に暮らしていけなかった人々と解釈すれば普遍的なテーマであるように思う。私に起こったのもそれだろう。高校と大学の間にあった自衛隊が、わたしにとっての禁断の果実だったというわけだ。

 

いずれにせよ、わたしは私独自の認知フレームを獲得することが出来た。もっと狭い方向に行く可能性もあっただろうに、わたしは学閥的とでもいうのかレンジの広い認知フレームを獲得できるに至ったようだ。

何回も繰り返さざるを得なかった転職も、どうにかこうにか乗り越えて現在のポジションを見つけることが出来た。業種や職種も乗り越えることが出来た。苦労も多かったが、生存能力は高いと言えそうだ。

まあ、「生存能力は高い」といっても学位による経済的なインセンティブがあったと実感できたことはただの一回だってありはしなかったが。

 

雇用経済においてはポジティブな効果が得られたと思えたためしがないが、少なくとも生き方においては有益だと感じる。両親に感謝する反面、経済的なインセンティブが欠けたまま強く大学進学させたいとは思わない自分がいる。

 

わたしが受けた豊かさを子に与えられないのは情けないが、そうは思っても払えないものは払えない。安定した収入が約束されているわけでもないのに、子に借金しろともいえない。

大学に送り出すことができるかは分からないが、せめて私が得てきた認知フレームを実用できる形で子に注ぎ込みたい。せめてそれくらいはしてやりたい。