きのけんぶろぐ

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政府与党は「法的に問題がない」なら問題の責任所在をつかんで抜け道を残すな

政治家が問題を起こしたとき、「法的に問題ないと考えている」と説明する。

それでなんだか追及の手が止まってしまう。

割り切れない感情を置き去りにして、当の政治家は平常運転を続ける。

 

どうしてこれが成立してしまうのだろうか。

わたしにはどうにも理解しがたい。

 

対抗する勢力、多くは野党議員になるかと思われるが、彼らがなぜもっとクリティカルな質問をぶつけないのか。

あるいはマスコミはもっと急所を突く質問を記者会見でぶつけないのか。

 

これの問題は簡単で、ようするに日本の政治家、とくに政府与党に属する国会議員はルールメイカーにしてプレイヤーなのだ。

自分たちでルール作りをして、そしてルールの範囲内で悪さをする。

悪さが出来ないような法改正をして再発防止するという態度が全くないまま「法的に問題ない」とするのが問題だ。

 

高市首相は先の衆院選後、自党の当選議員に対して一人約3万円のカタログギフトを配った。

正確には、高市首相が支部長を務める自民党奈良県第2選挙区支部から贈られた。

政治資金規正法では、政党支部から議員個人への寄付は認められているため、高市首相はこれに従って「問題ないと考えている」と答えた。

 

だが、前首相の石破氏もまた選挙後にご祝儀として同様の手法で配り、これも問題であると指摘されている。

同じようなことを繰り返して「問題ない」というのは、法の精神が欠如している。

 

法の精神とは何か。

法は明文化されたものを字義どおりに解釈して立ち回るというものではない。

かつては法令順守といわれたものを、最近ではコンプライアンスと言葉を変えて用いているのは、つまり法に書かれる文言を厳正に運用するだけでは不足する、その法の目的に照らして適正に運用するという観点へシフトしてきた。

国会議員を筆頭に政治家だけが、それをやらない。非常に悪質だ。

 

世の中にはルールを作るもの、ルールに基づいて運用するもの、ルールを取り締まるものというロールがある。

政治でいうなら、それぞれ立法、行政、司法だ。

ただ、これは教科書的な話であって、実際は少々違う。国会においては提出される法案のほぼすべてが政府、つまり行政から提出される。国会はそれを審議するだけ。

 

政府は国会の多数を占める与党により組織される。日本の政治において立法と行政はいうほど割り切れているわけではない。

高市首相は行政の長だが、国会における最大与党の党首でありコントロールの範囲は大きい。建前上は国会が議長をトップとしているにせよ。

 

おおよそスポーツで審判が公正中立とされるのは、プレイヤーと距離があり肩入れしないとみなされているからだ。

これがもしいずれかの選手ないしチームに近い存在で、ゲーム中に甘い裁定がなされるとゲームが成立しなくなってしまう。

どういうわけか、政治の世界はこれが通用しないようだ。

 

信用されなくなった審判は交代させるしかない。そのまま続投させて「責任を果たす」などと言われたら観客は怒り狂うだろう。

政治家が「辞めずに続けることで職責を果たす」ということは、これと同じことのはずだが、どういうわけか対立する政治勢力もマスコミも、どうようの筋立てで強力に対抗することがない。

 

この急所をさらさずに質疑だけ重ねるから、「いつまでやってんだ」と愛想つかされる。問題追及にも熱がこもらない。

その構造が、政治家も、マスコミもまるっきり分かってないんだろうか。

 

審判がデッドボールを投げ、しかしセーフとコールするゲーム