SNSは身内で響き合うエコーチェンバーだというのは別に新しくもなんともない話だ。
それだけなら別にどうということはない。
しかし、内側を仲間と定義し、その外側をすべて敵であるかのごとく言い始めるのは下手だと思う。特に政治文脈において、自分たちの主張をマスに広げて社会を変えようとするスタンスでいるならば。
なんで自分たちが真実に立つ側で、それに気付かない人たちをバカだとか愚民だとか、もっとひどい言葉で突き放そうとするんだろう。
端的に言うとこうだ。
最近の魔裟斗チャンネルでも新日の棚橋社長とステーキ対談で言ってたぜ。「にわかファンも大事にしなきゃダメ」って。
— Cinochenus (@cinochenus) 2026年4月9日
コアな人たちだけで固めたってマスにならない。マスにならなきゃ選挙に勝てない。選挙に勝てなきゃ国会をひっくり返せず、ずっと負け続ける。
なんで負け戦略を続けるの?
311からずーっと思ってるけど、自分らの観測している世界が共有できない人に対してバカ呼ばわりするやつ、定期的に吹き上がるよな。
— Cinochenus (@cinochenus) 2026年4月9日
それをやるたび、マスとのリンクが断たれていき、浮世離れした変わり者枠に押し込められる。
その繰り返し、いつまでやれば気が済むの?
これで記事を終えてもいいくらい。
だが、せっかく字数制限なくテキストを展開できるのだから、もう少し丁寧に解釈していこう。
311からこっち、当時のツイッターからしばらく間をあけて今のcinochenusアカウントで政治界隈を追っかけているが、何かしら社会に激動があるとき、選挙の投開票直後などに吹き上がる。
そのたびに「バッカじゃねーの」とツッコミを入れるんだが、今一つ広がっていかない。この点では進歩がない。
どういうルートをたどったのか知らないが、自民党政治がイヤになり、変革を求めてネットなりリアル空間なりで活動しているのだと思う。
それはよい。というか、わたしごときが政治参加の是非を審判できたりはしない。社会参加として誰にも否定はできない。
だが、その行動に対して到達目標に届かなった時点での原因を外部に求め始めるのは違うと思う。とくに政治においては。
わたしの友人が「熟慮した一票も気軽な一票も等しく一票だ。ファンを増やさないと自陣は増えない」と直近の衆院選を評価した。至言だと思う。
やたら熱量込めて虚空に向かって声を張り上げても、それがバカだと愚民だとか攻撃的な言葉とセットで届けられたら通じない。そこを理解しないと戦略ミスがずっと続く。
ここでXで言及した元K-1ファイター魔裟斗と新日の新社長棚橋の対談を見てもらおう。
棚橋氏
「プロレスファン以外に届くようなアピールを始めたというか」
魔裟斗氏
「プロレスファン、僕らの人も格闘技ファンだけにアピールしてもやっぱりパイ広がらないですもんね」
「僕ちょうど昨日、WBC見に行ったんですよ」
「僕正直、野球全然興味ないですよ。ただ、大谷翔平選手だけは興味があるんですよ。だから僕はめちゃくちゃ、にわか野球ファンなんですけど」
「ただ大谷翔平がみたくて。それでいいんだと思います」
棚橋氏
「そういうことだと思います。そういうことなんだと思います」
魔裟斗氏
「そういうにわかがいるからこそ盛り上がるんだろうなって」
わかるだろうか。
よくよく分かっている人だけで固まったところで勢力は広がっていかない。勢力が広がらなければ票につながらない。票につながらないから当選しない。当選しないから怨嗟が続く。怨嗟がマスにぶつけられるから勢力が広がらない。
この繰り返し。
意味ない。
まったく意味ない。
わたしも311直後の脱原発運動はかなりやったが、運動と政治がことごとく離れた意識しか持たない人たちがゴロゴロしていて、そして結局、運動そのものが目的化していくのをみて、わたしは離脱した。
原発再稼働はだいたいがこうだ。
電力事業者が関係各所に審査・申請を出す。許可を得て地元の合意を得る。
地元の合意とは地方議会の同意 >>> 地方自治体首長の同意 >>> 県議会の同意 >>> 県知事の同意というスキームになっている。そうして再稼働に入る。
だったら、まず議員定数の少ない地方議会を制してしまえばいいはずだが、運動界隈はここに対する動きが非常に鈍い。
なんで県知事の判断まで無風でいるわけ?
なんで電力事業者が再稼働するとプレスした段階までほったらかすんだよ。
事業者は経済活動なんだから地元住民に対してごく少数が押しかけたって止まるわけないだろ。
その前に止めるための努力したのか? どういうルートで再稼働に至るのか検証したことある?
あんたらの原発止めたいという意思を純真なものだと受け止めたところで、その同じことを何度も繰り返して再稼働を許すスタンスはどっからくるわけ?
こういう運動界隈ないし界隈の周辺部にいる人たちが、「反対しないのはバカだ」とやるわけだ。
もう勘弁してくれ。あんたらの戦略ミスを他人に責任転嫁しないでくれ。
そうやって運動が敗北して、政治では選挙戦略、選挙運動の不足を他人のせいにして喚き散らす。
そういうことが毎回繰り返される。
311直後の原発再稼働。
安保法制。
そして今般の反戦デモ。
運動そのものをくさす気はさらさらないが、それが政府や政治中枢からそれて大衆にまで敵視が広がり始めると毎回負け戦だなと思う。
どうしてこれをだれも止めないのか。
負けた方がいいのか? ずっと運動そのものを続けたいのか?
わたしはイヤだ。さっさと映画とゲームと犬と猫を中心にした生活に戻りたい。
選挙の話に戻すが、熱心な一人一人が投票してもダメだ。熱心な一人一人が周囲に波及して本来なら無投票になっていた層を自陣に引き寄せる。対抗勢力に投じようとした人を引き寄せる。
そうやって一人一人が複数票を引っ張ってくるようになって初めて選挙は大勢を動かす。そういうビジョンがないまま、敗戦の苦しみを外部化してもダメだ。同じことを繰り返す。

運動だけで見るならもうこれは勝手にやればと半分あきらめているが、政治を織り込んでやろうというならばマスをバカにするのはやめろ。だから負けるんだ。負け癖ついてもいいことなんか何一つない。疲れるだけだ。