小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とした映画「ブレードランナー」の35年を経て描かれる正統続編というふれこみの作品。

小説は読んだが1982年の映画は観ておらず、いわば祖父と孫だけ知っている格好。後述するが、いまさら古臭い論理を持ち出されて退屈させられたくなくて1982年版「ブレードランナー」はあまり鑑賞したいとは思わない。
そういう気持ちから正統続編かどうかは確かめようもないが、Blu-rayを買ってしまう程度には好きな作品の一つ。
何が引きつけるといって、孤独な男を、最後の、唯一の希望を打ち砕かれ、それでも立ち上がり、一つの家族を助ける姿がよい。
前作知らずの身からするとハリソン・フォード演じるリック・デッカードいらない。アナ・デ・アルマス演じるジョイかわいい。
ちなみに今回はネタバレあり。2017年公開映画だから別にいいやと未見の人でも読んでくれたらうれしいが、まったく情報入れずに鑑賞したい人にはオススメしない。
まず主人公Kは警察所属のバウンティハンターだがレプリカント、つまり人造人間だ。署内の人間からも「人間もどき(skin-job)」と軽蔑され、自宅のドアには「うせろ」と落書きされ、それでも人類に従順さを求められる。
これはようするにマイノリティの物語だ。誰にも見向きもされず、誰もがやりたがらない仕事を押し付けられ、家族もなく、所属組織からも尊敬されず、唯一心を許せるのは自宅管理AIのジョイだけ。
このジョイは今でいうAIアシスタントが家庭用家電とリンク、ホログラムによって現実世界に視覚投影される存在。
「ブレードランナー 2049」は2017年の映画で、当然、公開当時には誰もが自由にアクセスできるAIはない。
にもかかわらず、2026年現在におけるchatGPTやgoogleAIのGeminiを思わせる先回りの良さと、オーナーに個性化された応答が古さを全く感じさせない。なんなら今のAI技術が本作を参考にしたのではないかと思えるほど。
しかしジョイ以外はどこまでいっても偏見と孤独と暴力にまみれた世界。
Kは同類ともいえるレプリカントを解任(retire)という名の破壊が本業だし、そうまでしても常に人類から疑われチェックを受けないと報酬ももらえない。
人間上司は権威的で差別的で保守的などうしようもない人物だし、Kをつけ狙う新興レプリカント製造業のウォレスお抱えのラヴもまた非情なレプリカントだ。手を汚すのはレプリカント、命じるのは人間。
ここが本作が同様の世界観から進歩しているところだ。
要するに小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が出版された1968年から何度も繰り返された「人類とアンドロイドとの境界線は?」に対して、2017年時点ですでに「アンドロイドも人類の延長線上にある」が導き出されているわけだ。
それゆえ、改めて人造人間を引き合いに出して人類の再定義などやっても古臭いし、別に面白くもない。
本作はその先に踏み出す。人類の延長線上にいるレプリカントのKが、自己の存在証明を求める物語になっている。それを補強するかのごとく、物語はKが特別な存在である可能性について示唆してくる。
ところがKは特別な存在ではなかった。
ありきたりの、量産型レプリカントの一体に過ぎない。
特別な存在ではないかと思っていた記憶は植え付けられたものだった。
しかも唯一心の許せる存在だったジョイも破壊される。
もう何もなくなったKは打ちひしがれる。
とぼとぼ街を歩いていると巨大なホロ広告がKにささやきかける。
ジョイを思い起こさせる広告フレーズが、Kを奮起させる。
ここが最大の見どころ。
わたしが一番好きなシーン。
「あー、あんた自分が特別な存在だと思ってたの? ざーんねーん。ただのパンピーでしたー」と突き放され、そこから立ち上がる。ここが最高に盛り上がる。
これ、実は映画マトリックスシリーズがすでにやっている。
主人公ネオはオラクル(預言者)に自分が特別な存在であるかと聞く。オラクルが「違う」と答える。
しかしネオは少々の疑念を抱きながらも仲間に支えられてミッションに挑み、そして倒れる。倒れるが、相棒トリニティーからの愛によって救世主(ONE)として復活する。
特別っぽい感じを出しながら、「いや、特別じゃねーし」と突き放されてからの、愛という承認からの特別な存在へ。
Kもそうだ。
特別ではないと言われてから、もう一度立ち上がる。
あえて言うなら、ネオよりもハードだ。
ネオには美人のトリニティが愛をささやいてくれたが、Kには巨大なホログラム広告が誘い文句を投げかけてくるだけ。
どこまでもステンステンに特別じゃない状況で、K自身が自らの存在を証明していく。「特別だからやり遂げる」ではなく、「やり遂げたから特別になる」がここにある。
だいたいの話、観ているわたしたちからして主観的に特別であると思い込むことはできても、客観的に「あなたは特別です」と言われることはまずない。まあ、せいぜい恋人や家族、あるいはよっぽど親しい友人に言われるくらいだ。
最初から特別が約束されているわけではなく、何かやり遂げた結果として「あなたは特別だ」と言われる。
別に言われる必要もない。誰かを助けた結果として、社会をほんのちょっぴりでもよくできたとき、あなたは自分が特別な存在だと感じることが出来るはずだ。
ラストシーンでのKがそうであったように。だからあのシーンは悲劇的ではあるけれど、K自身は満足していったのだと確信できる。
あとはラヴがネイルをさせながら衛星からミサイル攻撃させるところが面白いくらい。装着型ディスプレイ越しに照準を合わせてKを襲うスカベンジャーを追い払うところはビジュアル的にユニークだ。
当人は極めてリラックスした環境にありながら、出力する結果としては相当に無慈悲な攻撃をもたらす。
まあ、でも本作でおもしろい戦闘シーンは正直、これくらいだ。そういう映画じゃない。レプリカントの繁殖も映画本編では何にもフォローされない。都市デザインも配給のソニーがちょいちょい出てきて面白いが、小説「ニューロマンサー」のチバシティかゲーム「サイバーパンク2077」のナイトシティかってくらい人々が生活しているし、原作小説の荒廃した感じとは全然違う。そういうつもりで鑑賞すると落胆する可能性が高い。
やはり本質は、なんでもない存在が世界をほんのちょっぴりでも動かす、ここに尽きる。何かを成そうというときに勇気をもらえそうな一本だ。オススメ。