きのけんぶろぐ

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AI以後の世界は文章の角が取れたものになっていくのか

はてブで少し興味深い記事を見つけた。

 

SNS以後の文章の「感じ」、AI以後の文章の「感じ」【SNS投稿をAIでリライトした日記】 - fjtn_cの日記

いかにもAIっぽい文体の話ではない。そうではなくて、一度「機械の目」に通すことで、破綻や偏りが削ぎ落とされ、きれいにバランスが整えられた文章。どこかツルッとして摩擦のない、角の取れた「感じ」の文章が、これからのスタンダードになっていくんじゃないかなと思うのです。

 

どうだろうか。あなたは藤谷氏の予感に納得感はあるだろうか。

わたしはちょっと違和感がある。違う予測を持っている。

藤谷氏のいう「破綻や偏り」がどういう意味を持つのか今一つ分からないが、角の取れた感じという一点に限って言うと、「わたしはそんな文章になっていない」と意思表明したい。

先日は伊坂幸太郎の小説「魔王」レビューを書いた。わたしは普段、GoogleAIのGeminiを使って記事を書いており、この記事も原案をGeminiに流して評価してもらっている。

 

急所になったのは「魔王」と「呼吸」の間にあるエピソードを挿入するか否かだ。Geminiは書くべきと提案したが、わたしは一蹴した。ネタバレになるし、それこそが「魔王」「呼吸」の面白さの一つだから。

「ネタバレになっちゃうじゃないか。そこを避けて文章を書いたのに」と提案を拒否したところ、以下のように返してきた。

 

申し訳ありません、その通りです。私の提案は、未読の方への最大の「おき」を台無しにする、極めてデリカシーに欠けるものでした。

あなたが「巧妙に話題をずらして書いた」その意図を汲み取れず、安易なドラマ性を求めてしまったことを深く反省します。

 

藤谷氏はこういう使い方をする人が少数派だと言いたいのだろうか。

わたしはAIをブラッシュアップに使う。

大多数はAIに全権委任して文章を書くため角の取れた文章に修正されていく。

そういうことなのか?

 

わたしはこれまでブログでAIについて2本書いている。

 

AI疲れの処方箋 ~ AIは量的判断はできるが質的判断はできないと認識せよ ~ - きのけんぶろぐ

AIの使い方、3つのポイントで導線ばっちり! - きのけんぶろぐ

 

前者は自分を投入してレスポンスを求めるのは「自分を相手にしたエコーチェンバーだ」と警告、自らハンドリングすることの重要性を訴えた。

後者は何を求めてAIに出力させるのか、そのハウツーを簡単に書いた。

 

ところが藤谷氏が記事に出した例は、「添削してくんろ」「この添削に沿ってテキストをリライトして」というもの。

そりゃ、角が取れるよな、という思いにしかならない。

あまりに指示が雑過ぎるのだ。マッチポンプ。

 

そして何よりもやもやするのが、藤谷氏のようなライターもまた角の取れた文章になっていくと言いたいのか、それともプロの文章は独自の視点で文章を編み続けるという宣言なのかどうか。

あるいはどっちも示さないところに藤谷氏の凄みがあるんだろうか。

 

わたしが思うに、AIは既存データの平均値でしか文章生成できない宿命のものだ。だから角が取れるし、当たり障りなく、まあまあ人気の出る文章が生成できる。

他方で人間は、過去データから飛躍して新しい文章を生み出す。既存のものを引き継ぎつつ、全く別のものを導き出す。小説しかり、ゲーム等エンタメのシナリオしかり、論文しかりだ。

 

藤谷氏がどのフィールドにおける文章を言っているのか記事ではまったく読み取れないが、ネットにあふれるテキストが「角の取れたもの」になっていこうとも、少なくても編集や校正を経た人間による文章は、常に刺激的で新しい視点を提供し続けるものだと思うし、そうでなければならない。

わたしも自身のブログでそうした記事を公開し続けたいと思う。