きのけんぶろぐ

政治社会とエンタメを等しく興味をもって発信するブログを目指しています

ゲームの中の自由についての考察 ~とくにRPGにおいて~

少し前、「Warhammer 40,000: Rogue Trader(ウォーハンマー40000:ローグトレーダー)」を購入し、返金した。

どういうゲームか。以下のリンクでは次のように説明している。

 

プレイヤーの選択で運命が決まるRPG『ウォーハンマー40000:ローグトレーダー』物語を左右するザビエル・カルカザールの紹介トレーラーが公開 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

ローグ・トレーダーになることは、インペリアムの他の市民には到底理解できないような自由を手に入れることである。Owlcat Gamesは、この自由がどのような結果をもたらすかを紹介する『Warhammer 40,000: Rogue Trader』の新トレーラーを公開しました。

 

動画を見てもらってもいいが、未プレイなら非常にわくわくするものになっただろう。

プレイ済みの私には冷めた目で見ることしかできないが。

 

どうしてこうなったか。

ゲーム業界がささやく「自由」という魅力の正体。

これが本エントリーのテーマだ。

まずわたしのゲーム嗜好をいうと、Fallout NVやFallout 4、あるいはTES5 スカイリムなど、自由気ままに遊べるオープンワールドRPGが好きだ。

Baldur's Gate 3(バルダーズ・ゲート3)もプレイしたが、実はBaldur's Gate: Enhanced Edition(バルダーズ・ゲート エンハンストエディション)、つまり初代の方が好みだ。

 

RPG以外だとEndless Space 2(エンドレススペース2)やGrim Dawn(グリムドーン)などをよくプレイする。

インディーだとHome Behind 2(ホームビハインド2)、Kenshi、Encased: A Sci-Fi Post-Apocalyptic RPG、Survivalist: Invisible Strain(サバイバリスト:インビジビブルストレイン)などはいずれも200時間以上プレイしている。

 

cinochenus.hatenablog.jp

別に国産ゲームを敵視しているわけでもない。

ペルソナ4 ザ・ゴールデン、真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTER、龍が如く0 誓いの場所はいずれもゲームクリアしている。

 

ここで言いたいのは、最初から返金目的で、つまりブログのネタほしさに「Warhammer 40,000: Rogue Trader(以下、WH40KRT)」を購入したのではないという事。

ネタのためじゃないよ、絶対に!

 

そこを確認したうえで記事を続けると、わたしの好みは一言で言ってしまえば

「選択できるゲーム、自分で試してアウトプットできるゲーム」

ということだ。

だからWH40KRTの謳い文句にある「自由」に惹かれて購入、プレイしたわけだ。

残念なことに「ゲームにおける自由って何?」という疑問に否応なく叩き込まれる結果になってしまったのだが。

 

WH40KRTをスタートさせる。キャラクター作成画面に入る。見た目やクラス、スキルなどを自由に選択できるカスタムがあり、構築済みのキャラクターがいる。

選ぶといきなりストーリーが始まる。ゴマすりしてくるやつがおり、偉そうに指図してくる奴がいて、いきなり裏切られ、部下だといって仲間が加わる。

訳の分からない単語が盛りだくさんのセリフ、操作がさっぱり分からない戦闘、どこがどうシナジーになるのか分からないステータス。

 

ああ、もうダメポ。置いてきぼり感がすごい。俺はもう無理だ。返金リクエスト。

こういうルートになった。謳い文句にあった「自由」を満喫する前に、押し寄せる世界観に押しつぶされて終わった。

 

家庭用ゲーム機以前、アーケードでしか遊べない時代、ベルトスクロールアクションというジャンルがあった。

進行方向へ画面がどんどんスクロールしていき、否応なくゲームを前に進めなくてはいけない。敵を片っ端から転がして、あるいは転がされて遊ぶゲーム。

 

WH40KRTはこれにそっくりだ。

プレイヤーが理解しているか否かは関係ない。勝手にストーリーが進んでいく。

操作キャラが事情が分かってないセリフを吐こうが何しようが、どうでもこうでもぐいぐい前進させていく。

良くも悪くも強引なストーリーテリング。プレイフィール。

ベルトコンベアRPGとでもいうべきゲームだ。

 

ある程度のプレイをすれば自由に到達できる可能性はあった。

プレイしているうちに世界観が理解できる可能性も。

だが、どんな選択をしようが勝手にストーリーが進んでいくプレイフィールはずっとついて回る気がする。せわしない。

 

Fallout NVは違う。理由もなく仲良くしてくるキャラクターは登場しない。

一応、メインクエストが進路を示すが、完全に無視して突き進んでもかまわない。周回プレイならばいきなりデスクローの群れをすり抜けてニューベガスに突撃したっていいわけだ。

一つの街を滅ぼしたリージョン憎しで見かけ次第、殲滅したっていいし、逆に荒野の暴力に魅せられて追従したっていい。完全に無視することもできる。

こういう自由がWH40KRTには感じられなかった。

 

The Outer Worlds(アウター・ワールド)というゲームもある。

こっちは一度だけクリアまでプレイした。

WH40KRTほどベルトコンベアな感じはしないが、しかし次のような謳い文句は巧妙なウソだった。

 

プレイヤーが導くストーリーRPG
Obsidianのゲームらしく、The Outer Worldsの世界にどう挑むかはプレイヤー次第です。プレイヤーの選択は物語の展開を変化させるだけでなく、キャラクターの特性や仲間の物語、そしてエンディングにも影響します。

 

確かにプレイヤーの選択が物語を変化させる。エンディングにも影響する。

だが、それは各シナリオで複数のルートのうちのいずれかを選ばせるだけの話で、その選択にしても最初の惑星テラ2のようなものは圧倒的に少なくなっていく。尻すぼみがすさまじい。

最後までプレイしたから自信をもって言う。開発途上の惑星があるが、あれはゲーム開発がリソース不足でそうしたんだろ?

 

WH40KRTでまた同じ体験をするのはイヤだった。同様のにおいがしたからさっさと返金リクエストを出した。

 

こう言い換えてもいいかもしれない。

最初から出てくるメニューが決まっていて、一定のマナーに従って食べるフルコースのようなゲーム。

最初に席に着いたら好きなメニューを選んでテーブルに運び、自由に飲み食いするビュッフェのようなゲーム。

前者がWH40KRTやアウター・ワールドで、後者がFallout NVやFallout 4だ。

 

Fallout NVでは比較的序盤に登場するキャスがいる。

元キャラバンのリーダーだが、積み荷とチームを失って酒場で飲んだくれている中年女性。

彼女がなぜ積み荷を失ったのか、それはゲームをプレイしていくと明らかになる。いや、明らかにならないかもしれない。それはメインのシナリオではないから。

 

もし何か違うアプローチで彼女と接点を持つことになった場合、敵対するトレーダーが彼女の抹殺を依頼してくる。これを受けることで彼女はモハビから永遠に退場することになる。

 

仲間になるNPCを殺せるゲームは珍しくなくなったが、ただ殺せるだけなら別にそんなオプションはいらない。プレイヤーは登場人物を片っ端から殺しまくることに楽しみを見出しているわけではない。

そこに必然の理由があり、その方便として殺害が選択肢として出現するだけのことで、キャラクターをプレイヤーが思うままに殺せるからどうだというのだ。ゲームの要素であるキャラクターを殺したってゲームを破壊しているのと変わらない。

「仲間になるキャラクターを無造作に殺せます!」といって自由度をウリにするゲームもあるが、プレイヤーが求めている自由を分かってないんじゃないだろうか。

 

結局、アウター・ワールド、そしておそらくはWH40KRTも、あらかじめ用意された順にストーリーをなぞるだけだ。選択があるといっても、洋風がいいですか、それとも中華風にしますか、といった違いでしかない。

ピザを食べた後に唐揚げをとり、サラダを食べてプリンをとる。そういうビュッフェのような遊び方ができない。フルコース。最初から決められた順に楽しむだけ。

しかも一定のコードを理解していないと楽しめない。テーブルマナーのような様式を強制される。それが窮屈でたまらない。

 

Fallout 3ないしTES4 オブリビオンなどオープンワールドが登場した当初、「完全に自由だと何していいか分からない」というレビューがあふれた。

その反動だろうか。ドラクエやファイナルファンタジーのような最初からルートが定められたゲームがJRPGとして一つのジャンルとして確立されつつあるようだ。

 

なるほど、代表的なタイトルが日本のゲームだからJRPGというのだろうが、2025年発売の「Clair Obscur: Expedition 33」はGOTYを受賞した評価の高い作品だがJRPGのゲームとされる。

おおよそ、本エントリーでいうところのフルコースRPGと同じだと言ってよいだろう。ストーリーが固定的で、選択はあらかじめ定められたものから一つを選ぶもので、「選べる」自由はあるが「選ばない」自由はない。そういうゲーム。

 

バルダーズ・ゲート3レビューでも書いたが、自由と言いながら自由じゃない。

 

cinochenus.hatenablog.jp

戦闘を自由に攻略できるといっても、一定の戦略を採用しないと先に進めない難易度の戦闘が連続する。ふつう、敵が強いなら真正面から突撃するか? いろんな攻略法が用意されているというが、一番の攻略法はレベリングだろう。強くなってから挑戦する。この選択肢がバルダーズ・ゲート3にはない。

 

この手のゲームは「自由」とか言わないでほしい。そんなものは自由でも何でもない。きっちり決められた手順で楽しむゲームだ。フルコース料理と一緒。そのストーリーが魅力的なら楽しめるが、自由と標榜するものを楽しめたりはしない。

そういうのはベルトコンベアRPGないしフルコースRPGとして、自由とは違う評価を下すべきだ。少なくとも商業レビュアーはそう書くべきだ。

 

販売にごり押しされた? 知るか。自由でないものを自由だと書いてプレイヤーの判断を混乱させるのはやめろ。そのゲームが魅力的なら、自由以外の面を強調せよ。

あ、まさか商業レビュアーもまた自由を分かってないのか? じゃあ、仕方ないな。そんなだから一般ユーザーの実況と参考度合いが大差なくなるんだよ。もっと突っ込んで書け。

それをやらないからゲーマーも実際にプレイして、つまんないといって返金することになる。システムとしてユーザフレンドリーだとは思うが、こんなのない方がいい。ちゃんとゲームが分かるつくりになっていれば最初から購入しない。

 

実際にプレイするまでゲームが分からないからゲーマーも混乱する。ゲームの売り文句こそ「自由」とあるが、実際は自由じゃない場合は結構ある。だから感覚がおかしくなる。ゲーマーの感覚が鈍っていくから、ゲーム開発も「自由」をはき違え、いよいよ狂っていく。

誰がこれを止めるんだ? せめて本エントリーがこの負のスパイラルを止める一つのきっかけになればと思う。別に「自由」は万能の謳い文句じゃない。関係者はゲームに誠実になってほしい。

 

プレイ時間58分