政治不信が広がる現代、会社員の安藤は自身に不思議な能力を得たのに気付いた。
他人に思ったままを語らせる。安藤が名付けた「腹話術」を用いて、彼は世の中が不穏に振れていくなかで一人、対抗しようとする。
単行本で2005年10月に発行された伊坂幸太郎「魔王」だ。(文庫版は2008年9月に初版発行)
この小説、とても好きだ。友人にオススメ、そのままプレゼントしたこともあるくらい好き。
手元にあるのは2代目か3代目だったはず。
これ、改めて読み返したが、なかなか面白い。かつて見えた小説世界と今の小説世界は少し違って認識するが、それでも好きだと確認できた。面白い。
まず政治不信が小説の中で展開していくのが面白い。
本来、政治は地味だ。ニュースがメディアが少しでもインプを稼ぐために面白く切り取るから、ある面では興味深く摂取できるだけで、本来は地味だ。特段に面白かったりはしない。逆に言うと小説のようなエンタメの中でドライブするのが難しいわけだ。
それが小説「魔王」だとするっと入ってくる。
大学時代の友人や社内の同僚との会話から始まり、テレビ討論が入ってきて、最後に政治家の街頭演説とつながっていく。うまい。
同時に安藤が獲得した「腹話術」がどういうものか、どういう機能を持つのか、それを持った安藤がどう行動するのかが描かれる。
この政治を切り口にした社会というタテ軸と、能力を獲得した安藤個人の行動というヨコ軸が本作を面白くしている。
彼は能力を茶目っ気で使うこともあるが、自分の利益に用いることはしない。自らが直接抗議するほどではないが、黙って見過ごすには居心地悪い事案に介入する。
冒頭、足元の悪い老人が電車内で座れずフラフラ立っているのに対し、元気そのものの若者が大股広げて2人分を使って座っている。そういうよくある風景で老人の側に立つのが安藤だ。
安藤はヒーローではない。
どちらかといえば善良な方で、帰化外国人をしっかり日本人と受け止め、周囲にもそう言える彼はリベラルでもありそうだ。
だが、自身の危機を回避するときも、友人の被害に寄り添うときも、スパイダーマンやバットマンのような勧善懲悪で解決したりはできない。
「考えろ考えろ」と内省的に頭を使って、どうにかこうにか一手を打つ。
ふつう社会問題というのは個人で対決するものではない。
関心を持つ人たちが集まって解決を模索するものだ。
それが安藤にはできない。著者の伊坂幸太郎はそういう展開をさせない。
濁流にあらがう一本の木のように、ただ個人として抗おうとする。
その安藤の結末はぜひ読んで確かめてほしいが、その5年後の世界を描いた「呼吸」は安藤の弟潤也にバトンを移して展開していく。
潤也の物語は兄安藤と異なり、社会情勢にコミットしない。
自らは環境調査の仕事をし、テレビも新聞もインターネットも生活から切り離し、「魔王」時点で恋人だった詩織は「呼吸」時点で妻となり、一緒に暮らしている。
潤也もまた奇妙な能力を獲得していた。
決してじゃんけんに負けない。
競馬の単勝を必ず当てる。
確率を必然に変える。
「魔王」は社会と個人のタテヨコの物語だったのに対して、「呼吸」は社会と距離を置いた潤也の、詩織から見た物語だ。
これもまた作者の妙だ。詩織というキャラクターを通して、謎めいた潤也の能力が物語をドライブさせていく。
兄安藤は個人で抗おうとしたが、弟潤也は個人で抗うため手持ちを増やし始める。
個人としてどのように社会と対決していくか、その違いもまた引き込まれる魅力の一つだ。
社会を観測する目を養うという点でも本書は興味深い。
政治がどうやって社会に浸透してくるのか、投票をどういう戦略でかすめ取っていくのかが分かりやすく示されている。
最初は小さく法案を通過させ、改正によって切り込みを深くするという手法の解説は事実だし、政治を知らない読者にもわかりやすい。
絶対に避けたい選択肢に対して各々が勝手に対決の選択肢を仕立てた結果、票が分散して抵抗が敗北していく説明も鮮やかだ。
初版は20年以上も前の作品だが、今から読んでも興味深い。それだけ予見性があるといえるし、あるいは政治はいつの時代も似たようなことをして社会を停滞させているともいえる。
連帯とか団結とか言われると鼻白んでしまうほど、集団としてのパワーを自覚しにくくなった今だからこそ、手に取って読む価値がある。オススメ。
