きのけんぶろぐ

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ミニマリズムは停滞経済の日本における生き方のヒントか、それとも新手のビジネスフォーマットか

ミニマリストってなんだろう?

所有を最小限にした生き方の実践者のことだと思っていたが、どうもよく分からない。

はてブに生息するミニマリストは、「自身は持たないが他人に買わせる」タイプが目立つ。結局、自分だけがミニマムであればよしとするっていうか。

 

直近でみたはてブ記事だと、タイトルは「物を捨てよ」とぶち上げているのに、本文を読めば商品オススメを並べているっていう。

これ、無名のミニマリストだけじゃなく、オピニオンの連中が同様のスタンスだから始末に悪い。たとえば以下のような。

 

あるミニマリストが本を出したのに対してフォロワーが「図書館で読みました」と反応したところ

「図書館で借りて読まれても、著者には1円も入らない」
「本当に応援しているなら(印税が入るように)買ってほしい」
「ミニマリストだからこそ、手元に残す価値のある本を買ってほしい」

等々。

 

これ、当人のみがミニマリストを実践する立場に立てば妥当なのだろうが、その生き方の実践書の忠実な実践者に対して「買え」っていうのでは本末転倒だ。

ログが確認できないため、氏名は隠すが仮にミニマリストSとしよう。Sのスタイルはフォロワーにとって実践可能ではない。では、なぜ本を出すのか。ほかに生き方を広められないなら、基本的には俺TUEEEしたいだけか?

 

だんだん分からなくなり、「ミニマリスト 定義」で検索すれば、三菱UFJ銀行、マンパワーグループ・ジョブネットなどで記事がヒットする。

こうなると「ミニマリスト」という言葉自体が「フェアトレード」などビジネス臭を打ち消して集客するビジネス用語に成り下がっていると読めて仕方ない。

フェアトレードはかつて低所得の生産国の労働者をプッシュアップするとして導入されたが、「善きビジネス」との看板を得るためにフェアトレードの語を使う最低限の条件クリアしか満たしてこなかった歴史がある。ミニマリストも同様の流れを追ってはいないか。

 

本人は「持たない」をうたいながら、そのフォロワーには「持つ」ことを強要する。ミニマリスト以外への提案だという反論はあり得るが、その内容からしてターゲットが初心者ミニマリストなのは自明だろう。

 

だとすると、ミニマリストの実践者がやっていることは当人にとっての実践であって生き方の啓発では絶対にない。

最小の所有で最大の幸福を得ようという生き方、こういうシンプルな定義に基づいて行動するならば、別に自分のところにマネーをかき集めなくてもいいはず。なぜ、そうならないのか。

ミニマム(最小)というよりシュリンク(縮小)にしかなっていない。個々人が最小を合言葉に最大のリターンを得ようとして、逆に生き方の価値を非常に狭いところに追いやっていく。これはナッシュ均衡の袋小路だ。

 

わたしは自分のことをミニマリストだなんて思っていないし、そういう肩書を持って何か発信したことはないが、生涯一番の大きな買い物、家。自由をもたらす家を手に入れるための選択肢 - cinochenus’s blogで住居の投資額とリターンについて述べた。

こちらの方がよほど実践的な提案かつ発信者のマネタイズが存在しない提案じゃないかと思ってしまうが。

 

ミニマリストSや同様のスタイルで実践するミニマリスト自身が、フォロワーがミニマリズムを実践する障害となり、その生き方を狭く狭く閉じ込めていく。

日本経済が停滞していく潮流にあって、それでも自分だけは生き延びたいとして提唱するだけなのだとしたらあまりにも寂しい。

その生き方が本当に素晴らしいなら、誰もが共有できるパレート最適として提示すべきと思うが、それは不可能なのだろうか。

 

「持たない。捨てろ」の呼び水で、「俺の本を買え。俺のアフィをクリックしろ」ではあまりに滑稽ではないか。

 

cinochenus.hatenablog.jp