きのけんぶろぐ

政治社会とエンタメを等しく興味をもって発信するブログを目指しています

「氷河期世代は終わった」というけれど人生は終わっておらず、痛みを自己啓発で癒すなんて馬鹿げてる。痛みは現実、構造の産物だ

はてブの週間ランキングで氷河期世代云々の記事があり、少々興味があって読んでみた。

 

delete-all.hatenablog.com

うーん、どう判断していいのだろう。アーカイブによれば2007年3月からスタートしているから約19年ということ。すごいと思う。それは確か。最初の記事が子ども時代にピアノの鍵盤を乳首に見立ててオッパイとかいってる文章だとしても。

 

実際、文の構造として理解が難しい。

たとえばこういうパラグラフはどう解釈すればいいのだろう。

氷河期世代の最大の敵は、他の世代や社会や政治ではなく、なんとか脱落せずに他の世代と渡り合っている氷河期世代の人間になるということ(このことは前にこのブログで書いた)。僕が、氷河期世代への救済措置が不十分だったり、手遅れだったりすることについて文句を述べているのは、当時から問題になることが分かっているのに見過ごしてきた社会や政治に対する怒りが第一であって、正直いって氷河期世代への同情は第二である。

 

最大の敵は他の世代や社会や政治じゃないが、文句を述べているのは社会や政治に対する怒りが第一なのだという。

つまり怒りの矛先は敵じゃないという認識なんだろうか。わたしには判断つかない。なので、これはこういうものとして受け止めよう。

 

次はわたしの氷河期世代に対する観測とやや違うところ。

 

氷河期世代が氷河期といわれるのは、他の世代と比較してまともな仕事に就くチャンスやセカンドチャンスがなかったからだ。

一般にはそういう言い方がされる。そして、それで苦しんでいる氷河期世代がいるのも事実だろう。

 

しかしわたしはそれよりも大きな問題があると思っている。氷河期世代にとって最大の難事は、「よい大学に入ってよい企業に勤め、よい人生を送る」という学歴社会の価値が転倒したからだ。

受験戦争ともいわれ、競争させられ、一部に勝ち組、多くに負け組を線引きする。そうやってサバイブした人たちにも丸ごと叩き落すパラダイムシフトが起こったことが問題だろう。

 

氷河期世代は団塊ジュニアとも呼ばれボリュームの多い世代だ。だから競争が苛烈になったが、以降はどんどん細くなって大学全入時代に突入する。

並行してアカデミズムを商売する人たちが出現する。それっぽい学位や肩書の持ち主がテレビに登場し、もっともらしいことをいう。あるいはバカをチャーミングにコーティングしてコメンテーターとして仕事する。

賢いバカなどという言葉が出現したのも、氷河期世代が新卒カードを切るタイミングに近かったのではないか。ようするに学びの価値の暴落。

 

制度も学びの価値の暴落に一役買った。

文系エリートの法学部は苦戦させられる。司法試験からロースクールへ。2000年代の司法制度改革により、供給過多、弁護士が弁護士というだけでは食えない時代に。

理系エリートの医学部も難しい。2004年からスタートした新臨床研修医制度により、どんどん就学期間が延長される。途中で勝手に変更されて、それで追随できなければどうなったんだろう。

これってチャンスやセカンドチャンス以前の問題だろう。それもあるけど、そこから先が地獄の穴。底が見えない。

 

たしかにセカンドチャンスの問題もある。

よくあるケースとして、都市部の会社、一部上場企業でもいい、そうじゃなくてもいいけど、大卒にインセンティブをつける会社に就職できた。なんらかの事情で失職した。就職が決まらない。

そうなったら地方の地元に帰る。だって生存がかかっているから。生きてるだけで銀行残高が減っていくから。

しかし地方で大卒の求人は極めて少ない。大卒者だからといって優遇されたりもしない。だから「大学にいった若者は地方に帰ってこない」などと言われるが、それは氷河期世代にも当てはまる。

 

「なんで最初の会社で我慢できなかったんですかーwww」って。お前な、なんで退職理由が全部自己都合だと決めつけてんだ。会社が倒産することもあるよ。

当時の日本四大証券会社といわれた山一證券が自主廃業を宣言して業務停止したのは1997年。

それでそのまま同業他社にスライドできればいいけど、できなければ前段でいったケースに陥る可能性は大いにある。

 

たしかにセカンドチャンスの問題だろう。

だが、それは自他の認識や見方でどうにかなる問題か?

違うだろう。明らかに構造的な問題じゃないか。

 

構造的な問題とは何か。

社会デザインをリードする人たちの失政だ。

つまり政治家や経済界の失政だ。

これは敵か否かの話じゃない。ただの事実だ。

 

わたし自身の経歴を少し披露しよう。

高校は進学校だったが、学歴社会への疑問から大学進学はせず親元を離れて就職。しかし家族の不幸があり2年足らずで帰郷。親の勧めもあり、大学進学、さらに大学院で2年の研究を経て学位取得。そのまま博士号へ進むリソースも意欲もなく、ドロップ、就職活動する。

 

ところが、だ。職歴がある者は新卒ではないんだと。わたしは学歴社会を疑って大学進学しなかったが、学歴社会に頼って進学、就職に臨めばレールにすら乗れなかった。学歴ロンダは日本には存在しなかった。

なんでこうなるか。それは今みたいになんでもネットで検索できる時代じゃなかったからだよ。

 

ともかく採用過程に進める会社を片っ端からアタックした。で、就職はできた。大学院の仲間からは「なんで?」って見られたし、教授からも汚い物を見るような目で見られたりしたが。

それでもとにかく頑張ろうとした半年未満で会社は倒産した。そのまま解雇。就労半年以内で失業保険も給付されない。で、地元に帰って、そうだ、学位なんか全然インセンティブにならない会社に就職するしかなかったよ。

それで負けを気にしないとか精神面はともかく、明らかに収入は減る。さらに家族の不幸が重なり援助は一切得られなくなる。どうしようもないだろ。

 

わたしは特殊なケースか。

ん?

どうなんだい。

 

どうしようもない中、わたしは今、なんとか生きている。ちゃんと正社員として働き、妻と子供もいて、犬も猫もいて、余暇時間にはゲームもするし、夫婦でボランティアもしている。

主観的には幸せだ。間違いない。

 

でも今をして、「わたしは勝ち組でーす!」という気分にはならない。

なぜか。先日扱った賃金構造基本統計調査でいこう。

わたしは製造業・大学院・45~49歳にあたるが、その月給の中央値60.2万円はもらっている給料とは程遠い。中卒の中央値38.7万円よりも低い。中卒の下位10%にあたる27.4万円は割と近いが、それは他の金額より近いってだけ。つまり時間外を除いた月給は27.4万円前後。なあ、これでどこが勝ち組なんだ?

 

じゃあ、別に高卒や中卒でいいじゃんってなるだろ。そうなんだよ。収入で見ればそうなってしまうんだ。実際、高卒で就職した人間と大卒で転職を繰り返した人間とでは収入が逆転するケースもある。

繰り返すが、当人の好き嫌いで転職を繰り返しているんじゃないぞ。どうにも動かせない理由はあるんだ。

 

たった一回の転職で苦労と言われても困ってしまう。それで書籍を出すなんて。いや、そういう人もいていいが、その主張が本人の自覚で乗り切る根性論だと悲しすぎる。

なぜ気持ちや自己責任論でカバーできない事情をフォローできないのかねえ。

 

氷河期世代に限った話ではないのだろうけど、わたしは氷河期世代の一人として、その痛みを知っている。それは個人的な敗北感などで処理できるものではない。あなたが悪いのではない。構造的に転落させられたんだ。

あなたが不幸だと決めつけるつもりはない。あなたにも人生の豊かさはあるだろう。それは事実だ。しかし経済的に這い上がれない構造を温存し続ける政治経済のリード役が、なんの手当もないまま「対策を!」と叫ぶポーズを続けているのには我慢がならない。

 

あなたの幸せは本物だ。でも、あなたの痛みも本物だ。それを認めてくれる場所くらいほしいじゃないか。なんで価値観をひっくり返しておいて知らん顔する連中がニヨニヨしたまま、こっちは自分が悪くもないのに痛い思いを続けなきゃいけないんだ。

そんなのおかしいよ。あなたは全然おかしくない。痛くて当然だ。