ひとつ前のエントリーで昔話「鬼の腕」は消え去った伝説か、はたまた先祖返りの地獄めぐりかという考察をした。
人手がいるのにケチって最後は絞め殺される。それが昨今の人手不足倒産に重なって見える。必要なら払え。
という結論だった。
ところで、昔話「鬼の腕」には大店(おおだな)と鬼の腕以外にも登場人物がいる。鬼の腕をくっつけて登場した大男だ。彼は何者だろう。
そのあたりを妄想膨らませて考えてみるのが本エントリー。
鬼の腕をくっつけた大男は怪力。薪割りや荷物運びをよくこなしたとされる。
しかし当人は一晩一合の酒以外に求めず、結局は衰弱して死んでしまう。
本人がその気なら怪力を生かして待遇の仕事を求めればいいし、あるいは自分で事業を興してもよかったはず。
なぜ、それをしなかったのか。
まず大男について確定していること。
- 鬼の腕による怪力
- 一晩一合の酒がないと腕が暴れる
- 食事も給金も出さない仕事をあえて選んだ
これらをすべて満たす大男像とはどんなものか。
精霊(八百万の神々による大店への罰)だとか動く死体(防腐効果としての一晩一合の酒)だとか、そういう考察もあるようだが、わたしは違う方向で大男を見ている。
大男も鬼の腕を得た当初は喜んだろう。
存分に怪力をふるって単独では不可能な難事を成し遂げたり、それによって感謝されたりといいこともあったはずだ。
しかし徐々に違った風に感じてくる。
人々は大男ではなく鬼の腕の方に頼むようになり、自分は鬼の腕にくっついている頭と体、一晩一合の酒を腕にやる存在。そういう主客転倒が起こった。
やがて大男は自分を見失い、怪力を支える鬼の腕を憎むようになり、しかし自ら命を絶つには鬼の腕が邪魔するため、ケチの大店に雇われる形で最期を選んだ。食わずに衰弱死する環境を自ら選んだ。
こういう顛末が考えられるのではなかろうか。
精霊にしても死体にしても、それがなぜ大店のところに向かうのかうまく説明がつかない。他方、わたしの説はケチな大店だからこそ大男が向かう理由になる。
わたしは特段、昔話に精通しているわけではない。ただ、ひょいと思い出したストーリーが、どうも近頃になって気になる考えをトレースしているように思えて、それで無視できなくなってしまう。
気になる考えとは何か。
わたしは物事には最初は便利だが必須になり、最後は不便になるというルートがあるように思う。
たとえばパソコンや複合機などがそうだ。
なかった時代には考えられないほど大量処理できるようになった。便利だ。
しかし今ではどうだ。なければ仕事にならない。必須だ。
あるいは携帯電話。
当初はいつでも好きな相手に連絡できる道具として便利だった。
しかし今ではスマホがなければ友達付き合いもできなければ、仕事だって不足がある。
かつては部屋に一人でいる時間は本当に一人だった。今は違う。友人や仕事の連絡がこないとは言えない。自分の時間が侵食される。
便利だったものが必須になり、不便になっていく。そういう流れがある。
インターネットはwindowsが発売されてから爆発的に利用が広がった。
当初は情報サイトも個人の手作りが多く、その確度も玉石混合だったから情報収集のツールというより情報発信のツールだった。
ブログも初期においては後発の部類で、それより前にはhtmlタグをメモ帳で編集してweb上のフリースペースに置くというのが流行っていた。今のような多額の資金投下で情報拡散させていくような世界ではなかった。
それがいつのまにか連絡手段が電話や手紙からeメールにとって代わり、スマホが登場し、SNSが広まり、LINEのようなメッセージアプリが電話やメールに取って代わるようになった。
自分から情報を取りにいくフィールドだったはずが、自分が頼まなくても情報が放り込まれる時代になった。何かのキャンペーンに登録した結果、読みもしないメールが次々送られてイヤになる経験をした人は少なくないはずだ。
通信利用動向調査(世帯編)では、これらのことを示すデータがある。
「インターネットを利用する目的・用途」令和6年版と同令和元年版を比較するとよくわかる。

令和元年におけるインターネット利用の目的・用途はトップが電子メールだった。対して令和6年のトップはSNS利用に取って代わった。

年齢階層別にみると一層興味深い。令和元年にはSNS利用のトップは「13~19歳」「20~29歳」だったのが、令和6年には「30~39歳」「40~49歳」にまで拡大している。
比較的若い層がつながりのツールとしていたのが、もはや中高年のゾーンにまで広がっている。
SNSの利用が必ずしも悪いというわけではない。
最近では飲食店やイベント告知にまでSNSが標準となったため、自らは発信しないにせよ、情報アクセスにはアカウントが必須になってしまった。
そして開けば勝手にフォロー先から情報が流れ込んでくる。頼んでもないDMみたいなものだ。加えて近年はSNSの広告攻勢が激しい。フォロワーの情報より広告の方が多いくらいだ。実に不便。
それが嫌でわたしはSNSから遠ざかった。
そして鬼の腕。
ただ怪力であるというだけなら、それを活かして生きていけば楽しそうだ。
しかし、自分ではなく鬼の腕が求められるようになってしまうと、今度は自分の居所がなくなる。
道具のように使っているつもりが、いつもの間にか道具に使われるようになる。
自分のものだった鬼の腕が、いつのまにか鬼の腕についている頭と体という自分。道具に使われる自分を拒否する形として食わずに働く=ハンストという抵抗にスライドしていった。
以上の鬼の腕の大男は、まったくの想像だ。
しかしわたしの近年における便利から不便へシフトしていく有り様を重ねると、これはこれでありうるような気がしてならない。
道具を使うのか、道具に使われるのか。ゆめゆめ覚悟して向き合う必要があるだろう。
ちなみに平成8年版の通信利用動向調査(世帯編)だと、インターネットからパソコン通信に置き換わってはいるが、メール送受信、インターネットの接続、ソフトウェアの入手、趣味など身近な情報収集など、自分から積極的にアプローチする利用に比重があることが分かる。
時間にして約30年ほど。これは後の時代には大激変として扱われるタイムラインかもしれないな。
