わたしはバカが嫌いだ。
わたしが嫌うバカはどこにでもいる。
たまたまヒットした事業を持っているだけで提言という形で世の中をコントロールしようとする経営者。
特定の学問領域の特定の分野でたまたま業績を得たというだけで社会全体を俯瞰できるかのごとく発言する研究者。
たまたまその瞬間の選挙で得票したに過ぎないのに、まるで万能の白紙委任状を受けたがごとく政治を自在に使おうとする政治家。
バカは一つの尺度で万能の観測ができると勘違いする。資産、学歴、得票数、年齢、筋力、身長、酒量、エトセトラエトセトラ。それらはそれぞれ別のスコアに過ぎない。それで他を圧倒できると思うな。
バカは自分の欲望に忠実である一方で、他人を傷つけるに際して極めて鈍感である。
バカは自らの成功体験を一般化し、追随できないものたちを嘲笑する。できるわけがない。一部の行動パターンをなぞったところで条件が等しくなるわけではないのだから。
バカは自分の得意とするスコアで序列を決めて他を無視する。意図的であるか否かにかかわらず、自分こそが真理という態度でものをいう。
バカはデータを読まない。広いレイヤーを用いて観察できない。蜘蛛の糸のように手がかりを垂らしてみても、それをつかまない。つかんだとしても他人と分かち合うことができず転落する。
バカは無視すべし。
ネット黎明期はそういったものだが、あれは間違いだ。
バカは無視しても存在し続ける。バカの垂れ流すテキストは、その場面では最小にできるかもしれないが、バカは他でもバカを垂れ流し続け、社会を荒廃させていった。
そして今もそうだ。出版社もプロデューサーも分かっているのではないか。陰謀論ないしトンデモ論であることは。分かっていても稼げれば流すのか。ウソも百篇。言い続ければ真実のように装うことが出来ることを学んだバカは、さらにバカを重ねて同類を増やし続ける。
わたしは以上のようなバカが嫌いだ。
本当に嫌いだ。
せめてフォロワーは、まずバカと距離を取り観察してはどうか。
バカの主張の根拠を探り、あるいはバカの主張するテーマについて他の人の意見やデータを参照する。
そうして再確認する過程があってもいいのではないか。せめて快楽の中でとどめて外に出すな。知らぬ間に誰かを傷つけて、その片棒担ぎになっていたとしたら、あなたもバカになってしまうではないか。