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政治を取り戻す(3)投票は「損切り」のススメ。政策より対抗馬を選ぶメリット

既成政党に期待できず、しかし自分で立候補するには途方もないハードルがある。いっそのこと見なかったことにしようか。ダメだ。主観的には見ないフリが成立しても、客観的にはすべての立候補者に白紙委任状をささげるに等しい。

 

既成政党に期待できない理由→

政治を取り戻す(1)既成政党に投票するリスクを各党の政治行動から指摘する - cinochenus’s blog

自分で立候補するには途方もないハードル→

政治を取り戻す(2)「自分でやる」のは無理ゲー。異常に高い選挙のハードル - カネ・人・票の3重苦 - cinochenus’s blog

見なかったフリ=白紙委任状→

白票は全候補者への白紙委任状。簡単な算数でわかる記名投票のススメ - cinochenus’s blog

 

これが現在地点だ。どこにも向かう先がない。がんじがらめ。

しかしどんな状況でも知恵を使えば手立てはあるものだ。わたしはそう思う。この八方ふさがりの状況でもやれることはある。それを本エントリーで示そう。

 

ここまでで自明だと思うが、本稿は現在の政治状況を好ましいと思っている人たち向けには書いていない。そういう人は気持ちよく自民党に一票を投じ続ければよい。わたしが何か書いているのもノイズと処理してもらえばオーケー。

そうでない人たち、何をすれば最適なのか思案している人たちに向けての提案だ。

 

>おさらい:選挙の基本的なルール

わたしの基本的な出発点はこうだ。

  1. 選挙区で投票したい候補者がいない
  2. だから投票しないでおこう
  3. そうすると一番当選してほしくないアイツにも白紙委任状を出すに等しい
  4. 記名投票する←大前提

 

どんなにイヤでも誰かに投票するしかない。託したい一票にふさわしい候補者がいればそれに越したことはないが、多くの場合、そうでないから大半の有権者が困り、一番簡単な選択肢、「選ばない」を選んでいるのだろう。

 

しかし実際はそう単純ではない。

あなたと誰かもう一人の2人で選ぶ場面を仮定しよう。

選ばなくてはならないが、選びたいものがない。自分は選ぶのを回避した。すると相手が決めたものが自分の決めたものになる。

これが同僚と食べるランチくらいなら大した話ではないが、人の生活に勝手に手をつっこんでくる政治が相手なら話は違う。主導権を渡すのはリスクが大きい。

 

>主導権を譲らないという生存戦略

投票したくない先がいない場合、選挙が正の比較ではないと発想を変えよう。自分にとってプラスになる誰かを選ぶという選択ではなく、自分にとってもっともマイナスが少ない誰かを選ぶという負の比較になっている。

 

この場合、よりイヤじゃない方を選ぶのが正解になる。この感覚に到達できると少し選挙の見方が変わってくるだろう。

大事な自分の一票だから好きなものに使いたいという感覚は理解できるが、使わなければ大事なあなたの一票は汚される。使わないことがイヤなアイツに貢献することになってしまう。

 

すると選ぶ基準は「自分の理想とする政治勢力に投じる」とはならない。

「一番いやなものが選ばれるのを妨害する」となる。

ここがポイントだ。あなたが望ましいと思う政策提案する政党より優先すべきは、一番困ったことをする当選しそうな政党に対抗できる勢力に投票する。これが生存戦略になる。

 

直感に反する投票行動だという事は理解している。しかし他に手立てがない。「自民党に入れても希望はないが、中道改革連合などという胡散臭い出来合い政党なんか支持したくない」という感覚を否定する気はない。

繰り返す。誰にも投票したくない選挙は正の比較ではない。好きなものを選ぶランチの時間ではない。よりリスクを減らしていくという負の比較だ。

投資でいう損切りだ。大きな損と小さな損、いずれかを選択しなければならないとしたら? どうしても選ばなければならないとしたら小さな損を選ぶだろう。それを投票行動においても適用しよう。

 

マシな政策を掲げる政党に投票するという正の比較をしていては、結局のところはあなたの利益にならない。それで政治が理想像に整っていくのなら正解だと思うが、現状がそうでないという立場ならやめた方がよい。

政策本位の投票は、なるほど基本的な立場においては正しい。しかし現在の一強多弱の政治環境にあっては正しくない。

 

>想定される反論に対するアンサー

かつて野党共闘という動きが日本の政治にあった。政権与党に対抗するに各々が好きな政党に投票しては最終的には敵に利するという考え方から、一番当選しそうな候補者に一本化を有権者の側から提案するという大胆な政治行動だった。

それは結局、各党の支持拡大にはネガティブな影響を与えた。とくに一本化の中心となった政党が保有議席数から支持率を誤解するというポカをやったために勢力衰退に拍車をかけ、そして今般の中道改革連合が惨敗するという流れを導いた。

 

この結果だけ観測すれば、本エントリーの提案は考慮に値しないとなるだろう。

しかし私は違うと思う。

高市首相が衆院解散に踏み切ったのは、自維連立では国会運営に行き詰まりを感じていたためであり、それは少数与党という構図がブレーキになっていたためだ。立憲民主党の体たらくはどうかしていると思うが、それでも自民党の議席を削っていたことは一定の価値があった。

 

ねじれ国会。誰だこんなフレーズを生み出した奴は。

選択的夫婦別姓という誰も損しない政策さえ法案通過させない、誰も実感しながら問題解決に導かない。少子高齢化、停滞する経済、負担が増し続ける社会保障、物価高等々。なんとかしてくれと思うテーマは一切無視し、防衛費GDP比2.0%への増額などといった頼んでもいないテーマに張り切る政治。こんな政府なら決められない政治で十分だ。

 

>負の比較による投票から政策優先できる政治へ

まず理想に近い政策を掲げる政党へ投票するという正の比較から、一番許せない政党に対抗できる政治勢力に投票する負の比較へ。これがわたしの提案だ。

そうして政治にブレーキをかけつつ、先のエントリーで示したような選挙制度改革へ道筋をつけるもよし、身近な議会から足掛かりをつけるもよし、本来は伸びてほしいと信じる政党へ勢力拡大の手伝いをするもよし。

各々の信じる形で政治へのコミットをするのがよいのではないか。

 

選挙が正の比較ではなく負の比較になりうることを知覚できるようになったならば、政治参加=投票というミニマムな関与以上のものに手を伸ばしてはどうか。そうした積み重ねが、ゆくゆくは政治のパラダイムシフトを起こす。そこでやっと正の比較にもどっていける。わたしはこういう展開を期待している。

 

シリーズ:政治を取り戻す

政治を取り戻す(1)既成政党に投票するリスクを各党の政治行動から指摘する - cinochenus’s blog

政治を取り戻す(2)「自分でやる」のは無理ゲー。異常に高い選挙のハードル - カネ・人・票の3重苦 - cinochenus’s blog