きのけんぶろぐ

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政治を取り戻す(1)既成政党に投票するリスクを各党の政治行動から指摘する

この度の衆院選、自民党が単独で316議席を獲得した。次点で中道改革連合49議席。その差、実に6.4倍。次々点で維新36議席。自維で計352議席。衆院465議席の75.6%。実に3分の4を支配したことになる。

大きく見れば中道改革連合の惨敗、自民の圧勝。細かく見れば参政・みらいの増加、共産・れいわ・無所属が減少。細かい方は何か論じる方が恥ずかしくなるほど大勢に影響がない。

 

わたしが薄々感じているのは、いずれの政党も政策の問題ではない。各政党の政治行動そのものに疑わしい点が含まれている。本エントリーの指摘対象である。本稿では政策の是非は問わない。イデオロギーや党アイデンティティではない。政党政治の在り方の話だ。努めて冷静に行く。お付き合いいただきたい。

 

>平然と公約違反する自民党に民主主義政治の参加資格なし

わたしは自民党を支持できない。何が許せないといって、選挙公約をやすやすと反故にする点が許せない。

今回の衆院選は消費税減税が主要争点の一つになった。覚えているだろうか。昨年の参院選は現金給付だ。自民党はこれを公約に掲げた。そして反故にした。総裁選で高市氏が総理総裁になるとろくすっぽ説明のないまま現金給付について議論もせぬまま打ち消した。

 

わたしは現金給付の是非を問いたいわけではない。それを掲げて選挙に臨み、そして議席を獲得したのであれば、その公約を全力で果たすのが議会制民主主義の型だろう。これを守れないのなら、主権者国民は何を軸に判断すればよいのか。投票する際の材料を失う。

 

ちなみにこの高市氏が大切にしているという故安倍晋三氏。彼もまた公約違反をしている。選挙でTPP反対を訴えながら、選挙後に「お約束と異なる新しい判断」などといって公約反古を説明した。新しい判断とは? こんなフレーズに説明されたと納得できる人がどこにいただろう。だが、実際にTPP参加、誰もろくすっぽ文句の言えない環境だった。

さらに引っ張り出せば、2012年は脱原発の選挙だった。猫も杓子も脱原発。みんなそろって脱原発。ならば今は日本から原子力発電が駆逐されたか。そうではない。「安全な原発をベースロードとして活用する」というのである。馬鹿らしい。なぜこんな政党を支持し続けるのか。

 

イギリスにはテリーザ・メイという首相がいた。当時のイギリスはEU離脱の是非を問う国民投票で国を二分していた。メイ氏は「残留」に投票した。国民投票で離脱が民意とされたのち、デヴィット・キャメロン首相が辞任。2016年7月、後継にメイ氏がついた。

メイ氏は残留を表明していたが、首相就任後は離脱のための政治を進めていくことになる。ただし離脱の移行スキームがうまくいったとは言えない。結局、離脱交渉の行き詰まりの責任を取る形で2019年5月、辞意を表明、後任にボリス・ジョンソン氏が決定した7月に首相を退任した。

実際の離脱においては民意も変化していくのだが、決定した方針に従って行動した。

 

これが議会制民主主義というものだろう。投票には責任が伴う。痛みが生じたとしても決定がなされた以上は政府・議会は従う。そうでなければ投票自体が不安になってしまう。その瞬間を反映してくれないのに投票できるか? 私には無理だ。

メイ氏は住民投票の結果を尊重した。自民党も選挙公約を反故にするのならば徹底して説明を尽くさなければならない。説明できないであれば、それが仮に損する政策であっても遂行してもらうしかない。それが政党の、投票した有権者の責任だ。判断に伴う都度の痛み。これは甘んじて受けるしかほかない。

その大原則を徹底できない自民党に民主主義の席を渡す必要はない。政策以前の話だ。その政治行動が許されない。

 

>ガワとしての政党を脱ぎ捨てた先の奈落

中道改革連合。選挙直前の立憲民主党と公明党の合流。異なる基本政策を掲げる両党が合流となった。

自民党を倒せる勢力が登場するかと期待する向きもあったが、わたしは当初から懐疑的だった。政党とは個々の政治家を判断するというコストを払わず、大枠で眺めることを可能とする枠組み。これを破壊するような政治の形が進歩的なものになるとは思えなかった。

 

とくに注目すべきは安全保障分野だ。集団的自衛権の行使について両党は立場が異なる。立憲民主党は安保法制に反対する立場から生まれた。当時の与党であった公明党とは決して相容れない。そこがクリアできなかった。

 

これが支持者離反を招いたか、議席は大幅減となった。自民党が増やした118議席と同数を失った。議席を急落させた以上、政党としての政治生命も短いと思われるが、長く続いたとしてもこの手の背信行為をする政治グループに居場所はない。

 

>住民投票の結果を踏みにじる政党はいらない

維新。前々項で述べた通り。住民投票の結果を尊重せず、自分たちの主張に沿う結果が出るまで繰り返そうとする政党に正当性はない。

身を切る改革などという一方、身内の不正に甘い対処しかできないところもガバナンス不全がある。

 

>安全を別の安全を差し出すことで満たすな

手取りを増やすとして議席を増やしている国民民主党。他方でドライバーの安全のために規制強化されることで物流に問題が生じるとされた2024年問題。同党代表の見解。

 

「大型トラックの80km/h規制を100km/hに緩和してはどうでしょうか」

なぜ速度規制しているのか想像の範囲外なのだろうか。

なぜ時間外労働に規制をかけるのか。ドライバーの安全のためだろう。

安全を犠牲にして安全を担保しようというのか。この思考回路が理解できそうもない。

 

>敗北必然の選挙戦略にいつまで付き合えばよいのか

共産・社民。この二つの老舗左派政党は粘り強い。ずっと抵抗を続けている。そこはリスペクトするが。しかし一つだけ言いたい。わたしは両党がずっと勝ち目の薄い選挙を続けることに気になって仕方がない。

 

憲法、人権、いずれも大事だ。カウンターで大企業・富裕層へ負担をシフトするのも彼らの文脈においては整理された主張だと理解できる。

とはいえ、それを掲げることでどれほどの集票を見込んでいるのだ。まず大企業の社員、富裕層は支持しない。大企業から仕事を請ける中小企業経営者も支持しないだろう。

 

では非正規労働者、貧困層、年金受給者か? なるほど、支持層が高い世代に比重のある両党にとって高齢者層はターゲットゾーンだろう。しかし非正規労働者と貧困層はどうだろうか。

これらの層はそもそも投票率が低いのではないか。つまり集票に期待できない層だ。

 

ああ、そうだ。投票しない人たちだから切り捨てていいという気は毛頭ない。それは本当だ。

しかし選挙は無常だ。時間は決まっているし伝えられる範囲も絞られる。そして無党派層は広く分布していてマスとしてフォローするのは容易ではない。そうした中においても低投票率であろう。事実、これを支持する論文も存在する。

 

www.jstage.jst.go.jp

賃金が高いand/or自由時間が多いと投票する割合が高く、逆もまたしかり。つまり低賃金で長時間労働で拘束が長い人ほど投票しなくなるというもの。

どうだろうか。ここをターゲットに選挙戦に突入した場合、勝ち味はあるだろうか。老舗左派政党へ支持し続けるのはいつもつらい。

 

>新しくて期待したいが危なっかしい

参政党およびチームみらい。新興勢力。今回の衆院選についていえば議席を伸ばした組。れいわ新選組も以下に述べる観点から、ここのカテゴリに入れる。

わたしも既成政党に期待できないと絶望しかかっている。だからこそ新興勢力には期待したくなる。気持ちはわかる。しかし長く生き残る戦略はあるか。

 

参政党は常に内紛が指摘され続けている。創設メンバーが次々と抜けていき、神谷代表の独裁状態にあるとも言われている。チームみらいは代表の安野氏に依存しなくても組織存続ができるように設計されている。しかし彼の存在抜きで党勢維持できるかは不透明だ。

れいわ新選組は選挙直前、山本代表の議員辞職がアナウンスされた。健康上の理由であり、難癖つけるような話ではない。しかし選挙結果はどうか。惨敗である。共同代表の大石氏も落選した。

 

おおよそどの組織にも創設から成長、成熟にかけてのフェイズにおいてリーダーシップの形は変化していく。言い換えれば、これが達成できない組織は自滅していく。

この3つの新興勢力は、そうしたフェイズに応じた変化に対応できていないように思える。これが確かである場合、組織は自壊する。自壊する組織に投資しても政治における自由が担保されない。

 

>まとめ:老舗・新興問わず既成政党は政治行動が主権在民を担保してくれない

わたしの結論。既成政党に主権在民を担保するパワーはない。そのベクトルはわたしたち国民一人一人の方に向いていない。

国会支配図の中での闘争でしかない。国民の生命や財産を守るという基本的なところが欠けている。

 

理解できるところもある。価値観が多様化した時代にあって、マスに働きかける政治に期待するのは間違いなのかもしれない。

結局、どこをどう切り取ってアプローチするのかという点でしか政党を評価できないのかもしれない。

 

だとしても、公約を反故にしたり基本政策が大きくブレたり党勢拡大もしくは党存続に不安があるところには、そもそも政策以前に期待できそうもない。それをやって裏切られ続けるのは本当に疲れる。

 

「それだけ文句を言うのならば自ら立てばよい」

ああ、できることならば私もそういう選択をしたいものだ。

しかしそれは相当に困難だ。

 

まず投票開始年齢と被選挙権年齢にギャップがあり、国選や首長選には高い供託金が設定され、あるいは町村議会は低い議員報酬がネックになる。運動員がなければポスター貼りさえ完遂できない。

これは次稿に譲ろう。既成政党に期待できないが自ら立つにもハードルが高く、どこまでも政治参加を突き放してくるのが日本だ。それを示していきたい。

ハードルの高さを示したうえで、解決策も同時に提示する。それでもハードルが高いという層に向けて投票行動による生存戦略を示す。これは次々稿になるだろう。それでは本稿はここまで。