きのけんぶろぐ

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百発百中の銃一丁と百発一中の銃百丁を等価にしてはいけない理由

前稿で述べた「百発百中の銃一丁と、百発一中の銃百丁の効果は等しいとは言えない」という主張。今回はその理由を掘り下げたい。

百発百中の銃一丁と百発一中の銃百丁を等価にしてはいけない理由

もし、あなたが個人で武装するならどちらを選ぶだろうか。

  • 百発百中の銃一丁(PG: Precision Grade / 精密級)
  • 百発一中の銃百丁(VG: Volume Grade / 普及・量産級)

 

 

おそらく多くの人がPGを選ぶだろう。正解だ。一人で百丁を抱えることはできないし、百回引き金を引く労力を一回で済ませられるなら、それに越したことはない。
しかし、この「個人の合理性」を安全保障の議論にそのまま持ち込むのは危険だ。集団戦における論理は、個人のそれとは全く異なる。

 

兵士100人からなる二個中隊が対峙している場面を想像してほしい。

  • A中隊:1人の兵士が PG を装備(残りの99人は非武装)
  • B中隊:100人全員が VG を装備

「期待値」はいずれも命中数1発だ。両者の能力は同等だろうか?

 

答えは否、B中隊が圧倒的に有利だ。銃は遠距離からダメージを与える武器だ。兵士は誰もが「撃たれたくない」と考える。 A中隊はたった一つの銃口を警戒すれば済むが、B中隊には100の銃口がある。「どれが当たるか分からない」という恐怖は相手の行動を強く制限し、心理的・戦術的に広範囲を制圧する。これが「飽和(Saturation)」による優位性だ。

 

VGの有用性が分かったところで、次の問題に直面する。
「調達コストはいくらまで許容されるか」だ。PG一丁よりも、VG百丁の方が調達費が高くなるのは直感的に理解できるだろう。しかし、具体的に「いくら」が適正なのか? ここで議論は迷宮入りする。

 

国家の予算規模、周辺国の情勢、部隊の練度等々。これらが複数の因子が適正価格を決定するため一義的に決定できない。これは統計学でいう「比率尺度(原点"0"を持つ比較可能な数値)」ではなく、「順序尺度(二者の多少のみ比較可能な群)」の領域の話なのだ。安全保障の効果を金額で単純換算することの限界がここにある。

 

さて、適正金額が算出困難だったら説明を省いてよいか。否、そうはならない。特にシビリアンコントロール(文民統制)を掲げるのであれば、防衛予算の妥当性は国民に説明し尽くす義務がある。そして日本はシビリアンコントロールを掲げている。

 

防衛費が対GDP比が1%から2%へ引き上げられたが、その中身はどれほど明示されているだろうか。予算枠の決定が先行し、予算執行の事業は後付けになってはしないだろうか。